茂森あゆみ
背景の木々とマッチした衣装で笑顔を見せくれた茂森さん

『おかあさんといっしょ』でうたのおねえさんを務め、『だんご3兄弟』で紅白歌合戦にも出場。トントン拍子で駆け上がったかに見えた茂森あゆみさんには、ハードな日程、キャリアとの葛藤、歌手としての苦闘がありました。いまだから話せる舞台裏を明かしてもらいました。

全国の地方局も回りながら大学の課題もこなす毎日で

── もともとは、オペラ歌手を目指していたそうですね。音楽への道に進むことを意識し始めたのは、いつ頃だったのですか?

 

茂森さん:クラシック好きな母の影響で、3歳から地元・熊本にある音楽幼稚園に通っていました。

 

私には姉が2人いるのですが、同じ幼稚園を出て音楽をやっていたので、私も自然と音楽に触れて育ちました。音楽の道に進むことを決めたのは、小学5年生のとき。

 

レナータ・スコットというソプラノ歌手の歌を聞いて体に衝撃が走り、“私もこんな風に歌ってみたい!”と憧れて、オペラ歌手を目指すようになりました。

 

中学校の卒業文集には「イタリアに音楽留学する」と書いていましたね。その後、武蔵野音大の付属高校に入学するために上京しました。

 

── 武蔵野音大の在学中に、人気テレビ番組『おかあさんといっしょ』の17代目うたのおねえさんに抜擢されました。応募のきっかけを教えてください。

 

茂森さん:当時、「うたのおねえさん」は音大生からオーディションで選ばれることが多かったのですが、それまでクラシック一筋でその存在さえ知らなかったんです。

 

茂森あゆみ
紅白歌合戦の出場は「まさかまさかのことでした」と話す茂森さん

でも、声楽顧問の教授から「コンクールでのオーディションの練習になるから受けてみたら?」と言われて参加したら、まさかの合格。

 

NHKの方には「素人っぽさがよかった」と言われました(笑)。

 

──「うたのおねえさん」と「音楽大学」との両立は、かなり大変だったのでは?

 

茂森さん:振り返ると、“よくできたな”と思いますね(笑)。ふだんの収録に加え、1週間分のリハーサルやレコーディングもありました。

 

当時はBS番組でのうたのおねえさんがいなかったので、地方局の収録もあって47都道府県のほとんどを回りました。

 

それに加えて、学校の勉強や課題もあって毎日クタクタ。

 

私は事務所に所属していないうたのおねえさんだったため、NHKの契約社員扱いになります。大学側とNHKの方が話し合い、試験日などの調整をしてくれました。

 

おまけに一緒に暮らしていた姉がイタリアに音楽留学し、ひとり暮らしに。自炊にあてる時間が極端に減ってしまったため、食生活も乱れてしまって。忙しさとストレスから帯状疱疹になりました。

『犬のおまわりさん』が歌えなくて最初は手探り

── 帯状疱疹ですか…。相当、疲れていたのですね。ただ、それまでやってきたクラシックのオペラと子ども向けの歌では、ジャンルや発声法など、まったく違うと思うのですが、うまく順応できましたか?

 

茂森さん:最初はすごくとまどいました。いちばん違うのは、キーの高さなんです。私はソプラノでキーが高いのですが、童謡は低いので『犬のおまわりさん』が歌えない。

 

最初は“これで合っているのかな”と、手探り状態でしたね。

 

また、子どものころからクラシックバレエをやっていたので、体の使い方や表現にバレエの癖が出てしまう。

 

たとえば、腕を上にあげるとき、バレエだと指先に意識を向けて流れるような動作で腕を伸ばしますが、子ども番組では彼らの興味をいかに引くかが大事。

 

そうなると、指をパッと開いて大きく腕を上げなくてはいけません。歌も表現も、これまでやってきたことが通用せず、求められていることに応えられない。モヤモヤや葛藤がありましたね。

 

── 舞台裏では、そうした努力があったのですね。吹っ切れたきっかけは、なんだったのでしょうか。

 

茂森さん:2つあります。1つ目は、自分のなかでクラシックの声と地声の間をつかんだ瞬間。それから番組で歌うことが、ずいぶんラクになりました。

 

2つ目はある人からの言葉でした。“歴代のお姉さん方のような歌い方をしなくては”と思い込んでいた私に、「あなたはあなたのやり方で楽しくやればいい。そのほうが観てくれる人も楽しいはずだから」と。

 

そこから、心が落ち着き、楽しんでできるようになりましたね。

 

── これまでの価値観を覆すような経験だったのですね。音楽に対する思いや考え方にも変化がありましたか?

 

茂森さん:ずいぶん変わりましたね。子どものころからオペラ歌手を目指し、四六時中、声のことばかりを考えた生活を過ごしてきました。

 

つまり、ずっと「自分のため」に歌ってきたのです。でも、番組での経験を通じて詞の大切さや、自分以外の「誰かに届けるため」に歌う楽しさや喜びを知りました。

 

大切なことに気づくことができ、音楽がもっと好きになりましたね。

 

もうひとつ嬉しかったのが、保護者の方から“育児で疲れた心に染みました”などの嬉しいお手紙をいただいたことです。本当にありがたい経験でしたね。

紅白出場!その裏で心は揺れていました

── 1999年には、8代目うたのおにいさんの速水けんたろうさんとデュエットした『だんご三兄弟』が空前の大ヒットし、紅白にも出場されました。当時は、どんな気持ちだったのですか?

 

茂森さん:じつは、あの歌で皆さんに知っていただき、「ありがたいな」という気持ちと、反面、「このままでいいのかな…」と葛藤する気持ちで、心が揺れていたんです。

 

── そうなのですね。葛藤の原因は、なんだったのでしょう?

 

茂森さん:うたのおねえさんが終わったら、クラシックの世界に戻って大学院に進もうと思っていたんです。

 

芸能界に入ることはまったく考えていなかったし、心の準備もできていませんでした。

 

ところが、曲がヒットして自分ひとりではいろいろと対応できなくなり、芸能事務所(ホリプロ)にお世話になることに。

 

いろんな音楽を経験することで、声が豊かになり、勉強になるだろうと考えました。

 

そして、最初に挑戦させていただいたのが、『星の王子様』のミュージカルです。お相手役は、あの市村正親さんでした。

 

オペラとは声の出し方や表現がまた違っていて、そこでも苦戦しました。

 

あるとき、市村さんから「『星の王子様』でどの歌が好き?」と聞かれて、「この歌です!」と伝えたら、「その歌がいちばん伝わってこないよ」と言われたんです。

 

理由は、私が“歌いきっている”からだ、と。

 

── “歌いきる”ことが、なぜダメなのでしょう…? 

 

茂森さん:自分の声に酔いしれて「詞が伝わってこない」と。つまり、私は観客ではなく、“自分のために歌っている”状態だったんですね。

 

「うたのおねえさん」として、子どもやママたちに伝えることは学んだけれど、ミュージカルの表現はまた違う。

 

何もわかっていなかった私を叱咤激励しながら、いろんな方が手を差し伸べてくださり、すごく感謝しています。

 

PROFILE 茂森あゆみさん

1971年生まれ。武蔵野音楽大学卒業。在学中に、NHK「おかあさんといっしょ」17代目うたのおねえさんに就任。6年間務める。1999年『だんご3兄弟』が大ヒット、その年の紅白歌合戦にも出場。32歳で長男、36歳で次男、39歳で長女を出産


取材・文/西尾英子 撮影/坂脇卓也 画像提供/ホリプロ