フジテレビ企業広報として、取材対応などの業務を担う春日由実さん。1997年にアナウンサーとして入社し、20年目に広報宣伝へ異動するまでは、多くの番組を担当してきました。高い人気と実力を兼ね備えた仕事ぶりが印象に残る春日さんですが、スタジオの隅で涙する日もあったと言います。活躍の裏でどんな心境を抱えていたのか、お話を聞きました(全4回中の1回目)。

 

フジテレビ広報・春日由実さん
物腰の柔らかい受け答えが印象的な春日さん

入社数か月でいきなりディカプリオのインタビュー

── 現在は広報として仕事をこなす春日さんですが、フジテレビにはアナウンサーとして入社しました。

 

春日さん:「人の心に残る言葉の種を撒きたい」と、アナウンサーの仕事に就きました。ついこの間までは学生だったのに、研修が終わるとマイクを渡され、フジテレビという看板を背負ってカメラの前に立たなくてはならない。そのプレッシャーと責任はとてつもなく大きく感じました。

 

まだ新人の頃「帰国子女で、英語もできるから」と、いきなり(レオナルド・)ディカプリオさんのインタビューを任されました。しかも時間は10分だけで通訳の方もおらず、「十分な話を聞けたと思ったら、春日の判断で次の質問をして」という指示で(笑)。

 

その後、トム・ハンクスさんなどにインタビューをするためにハリウッドにも行きましたし、トリノオリンピック取材のほか、メディアを代表してレポートする機会も多くありました。

 

プレッシャーはあるけれど、普通なら会えない人に出会えて、自分が知らない世界を知ることができる。そして現場で感じたこと、その臨場感を自分の言葉でどのように視聴者に伝えるか…ということを考える毎日で、とてもやりがいのある仕事でした。

 

入社3年目のフジテレビ春日由実さん
1999年、『とくダネ!』を担当し始めた頃の春日さん

── インタビューやレポートのほか、番組の進行も多く担当されていましたよね?

 

春日さん:番組の空気をつくることも、進行役を務めるアナウンサーの大切な仕事のひとつです。アナウンサーが番組を良くすることもあれば、台無しにしてしまうこともあります。スタジオにいるスタッフの顔を見れば、「今日は納得のいく仕事ができたかな」とか、「いまひとつだったな」とか、すぐわかるんです。

 

20代の頃はとにかく必死で、番組の進行をしながら誰かが発言したらすぐ拾って返す、また誰かが発言したら…という感じで、アタッカーでありレシーバーの状態。共演者の方たちやスタッフとチームで仕事をしているのに、勝手にひとりで戦っている気持ちになっていました。

 

当時プロデューサーに「もっとスタッフを頼って信じなさい」と言われたのですが、その言葉は今でも記憶に残っています。番組づくりは、チームで行うからこそ楽しく良いものができることに気がつくまで時間がかかってしまいました。

 

フジテレビ春日由実さん
2005年の記者発表会で司会を務める春日さん

上手くできず出番後に思わず涙したことも

── 新人時代は慣れないことも多く大変だったと思いますが、キャリアを重ねてプレッシャーが減ることはありましたか?

 

春日さん:プレッシャーはずっとありました。アナウンサー時代は朝の番組を担当することが多かったのですが、朝寝坊して「オンエアに自分がいない夢」をしょっちゅう見ていました。スタッフから電話がかかってきて、「はぁ!私、どうしよう…」ってなるところまでリアルに夢に出てくるんです(笑)。

 

フジテレビ春日由実さんと境鶴丸アナ
2006年『FNNスーパーニュースWEEKEND』でともにメインキャスターを務めていた境鶴丸アナと

── そんな夢を見たら、眠ったのにドッと疲れてしまいそうですね。

 

春日さん:「生放送で絶対に、そこに居なくてはならない」ということ以外にも、プレッシャーはいつも感じていましたね。例えば、常に日々のニュースを追っていなければならないとか。長期休暇のときは、情報をシャットアウトするためにニュース自体を観ないようにすることもありました。

 

アナウンサーは自分があまり知らない分野のことでも調べて勉強して、オンエアでは自分の知識として紹介しなければならない場面が多いんです。毎日が試験のような感覚で、勉強したり、周りに聞いて回ったりして、乗りきっていました。

 

例えば、入社3年目に番組スタート時から携わった『とくダネ!』では、プレゼンターを担当しましたが、頑張っても上手くプレゼンできない日があって…。出番が終わってから、スタジオの隅で涙が出てきたことや、アナウンス室に戻ってから泣いてしまうことが何度もありました。

 

でも、気持ちをすぐに切り替えないと、翌日カメラの前に立てないので、メンタルは鍛えられましたね。

産休で感じた「オンリーワンじゃなかった」自分

── アナウンサーとして多くの仕事をしていた2002年、当時ドラマプロデューサーで会社の先輩だったご主人と結婚されました。

 

春日さん:結婚したとき「絶対的な味方が増えた!」と感じて、心強かったですね。

 

どんなときも味方でいてくれる両親に加え、もう1人、心から信頼できる人が増えたという安心感が生まれました。

 

当時は2人とも忙しくて、私は朝4時に仕事へ出かけて行き、夫が撮影や編集を終えて帰宅するのも、それくらいの時間。一緒に暮らしていても、週に1度会えるかどうか…という生活でした。でも、お互いの番組を観て「あれは良かったね」など、感想をよく伝え合っていましたね。

 

フジテレビ広報・春日由実さん
職場で知り合った夫は「心から信頼できる味方」と話す春日さん

── その後、2人のお子さんに恵まれ、産休も経験されます。

 

春日さん:出産された方は同じような経験をするケースが多いと思うのですが、今まで積み上げてきたものが、産休でいったんリセットされてしまう。職場では「子どもを授かりました」と伝えると、「おめでとう!」の後に「いつまで働けるの?」と聞かれて、すぐに自分の代わりの人が決まるんです。

 

もちろん産休をいただくので次の担当者を探すことは当たり前ですし、職場としては必要な対応ですが、「オンリーワンでありたいと思って仕事をしてきたけれど、私、オンリーワンじゃなかったんだな…」と感じてしまう場面もあって。第一子妊娠のときは、少し複雑な葛藤を経験しました。

 

でも子どもが生まれると、母親という圧倒的オンリーワンの存在になって、そんな寂しい気持ちはすぐ払拭されました。

 

── お子さんができて、仕事への考え方は変わりましたか?

 

春日さん:もともと取材などで出張する機会も多かったのですが、長女が生まれて復職する際、「子どもを置いて出張をするか」は迷いました。性格によって大丈夫なお子さんもいますが、復職当時まだ授乳中だったこともあり、夫とも話し合って「出張はしない」と決めました。

 

あんなに仕事が大好きで、仕事第一だった私が「家庭」という、もうひとつの柱を得て、価値観は変わっていくのだなぁ…と自分の感情の変化に気づいた決断でしたね。

 

PROFILE   春日由実さん

1974年兵庫県生まれ。1997年アナウンサーとしてフジテレビに入社。2017年に広報宣伝へ異動となり、番組広報を担当。現在は企業広報担当として、アナウンサーへの取材対応を中心に活躍している。


取材・文・撮影/鍬田美穂 写真提供/フジテレビ