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2018年に日本人選手初のグランドスラム優勝を成し遂げたテニスプレーヤーの大坂なおみさん。しかしその裏には、母・環(たまき)さんの献身的な支えがありました。以前『世界一受けたい授業』(日本テレビ系)に環さんが出演し、波乱万丈な人生を語りました。

家計を支えるため試合をほとんど見られなかった

なおみさんが小さかった頃、夫のマックスさんの衣料品の輸入販売は赤字で、環さんは正社員になれないというギリギリの生活。

 

テニスの環境が整っているフロリダに拠点を移しても、極貧生活は変わらず、環さんは家計を支えるために朝から晩まで働き、そうした生活は10年続いていたそう。

 

環さんは、家計を支えるために一心不乱に働いていたため、大坂なおみさんの試合をほとんど見ることができなかったと言います。

 

環さんの極貧生活時代の再現VTRを見た堺正章さんは、「お金に苦しんだ時代ツラかった?」と質問。環さんはその質問に「ツラくはなかった。不思議なことに楽しかった」と答えています。

 

「毎日できることをやって、ゲーム感覚」「何でもやって戦う」と語る環さんを見ると、母は強しという言葉が思い浮かびますよね。

娘の心を癒やすために「女子会」を開催

父・マックスさんの厳しい指導を受ける大坂なおみさんに環さんが続けたのは、毎日娘たちと女子会を開くことでした。

 

女子会では今日あったことをお互いに話し、スッキリして寝る。次の日に持ち込ませないよう、環さんは大坂なおみさんの心のケアを心掛けました。マックスさんの厳しい指導とは対称的に心のケアを環さんが担うことにより、大坂なおみさんを献身的に支えていたのです。

 

しかし依然として家計は苦しく、生活費やテニス用品のお金などを工面するのに環さんが働くだけでは厳しくなってきていました。どうにもならない現実に、環さんは「スポンサーを探すしかない」と決意します。

 

そこで環さんが取った行動は、スポンサーになってくれそうな会社の社長に直筆の手紙を送ることでした。

 

何社も断られるなか、ヨネックスの米山社長(現会長)がスポンサーになることを決断。米山社長は、環さんの便箋何枚にも及ぶ熱意と大坂なおみさんが素質のある選手と思い決断したと言います。

 

その当時の気持ちについて環さんは「ありがたかった」と振り返りました。