元TBSアナウンサーで、2019年にフリーに転向した吉田明世さん。現在2人の子どもを育てながら、ラジオ番組などで活躍しています。働き方を見直すきっかけになったのは、「サンデー・ジャポン」の生放送中、妊娠初期の貧血で意識を失ってしまったこと。それまで「頼まれた仕事はすべて受ける」というほど仕事一筋だった考え方が、大きく変化したと語ります(全4回中の1回目)。

 

吉田明世さん
フリーに転向した吉田明世さん

生放送中に途中退席「これまで通りに働けないんだ」

── TBSアナウンサーからフリーに転向されたのは、第一子出産がきっかけだったそうですね。

 

吉田さん:はい。もともとTBSにアナウンサーとして入社した後は、もし自分が結婚して子どもが生まれても、ずっとTBSに勤めていたいと思っていたんです。

 

実際に妊娠後も変わらず、平日は週5日『ビビット』の生放送、日曜は『サンデー・ジャポン』を担当していました。そのほかにも、ラジオ番組やバラエティ番組もいくつか担当していました。

 

でも、妊娠初期に「サンデー・ジャポン」の生放送中、貧血を起こしてしまったんです。

 

── 当時の放送、見ていました。スタジオトークの途中で意識を失ってしまったんですよね。

 

吉田さん:そうなんです。カメラの回っているところで倒れてしまって。そのとき初めて、妊娠するとひとりの体ではなくなるんだ、これからは自分ひとりの人生ではないんだな、と実感したんです。

 

それまでは、「休みもいりません」というくらい仕事が大好きで。当時、働き方改革がそこまで厳しくなかったのもあって、いただいた仕事はすべて受ける、というくらい、がむしゃらに働いていたんです。

 

だから、倒れてしまったときは、母親になる喜びはもちろんあったんですが「もうこれまで通りに働けないんだ」という悔しさも同時に湧いてきて。

 

── それだけ仕事に打ち込んでいたら、自然なことですよね。

 

吉田さん:そのことがきっかけで今後、母として、アナウンサーとして、どういう人生を歩んでいきたいか考えたんです。そこで初めてフリーランスになるという選択肢が生まれたんですね。

 

ただ、妊娠中は、ホルモンの関係で高揚感があったり、冷静に考えられなかったりもするので、その気持ちはいったん心にしまい、産後改めて自分に問いかけてみよう、と思いました。

 

結局、産後も思いは変わらず、母になったからこそ、局のアナウンサー以外の新しい働き方ができるかもしれない。その可能性に賭けてみようという思いが強くなり、退社を決断しました。

 

気持ちが固まっているのに、ずるずる退職を引き延ばして迷惑をかけるのは申し訳なかったので、産後すぐのタイミングで会社に伝え、育休は取らずに退社しました。

 

吉田明世さん
2017年12月、3年3か月務めた「サンデー・ジャポン」のアシスタントを卒業した吉田明世さん

産休前に担当番組を降板、悔しさも

── サンジャポでは、倒れた次の週から番組を卒業するまで、椅子に座って進行していましたよね。あの出来事を機に、妊娠していてもテレビに出られる状態なら出てもいいし、体調が悪ければ座って進行するのが当たり前になってほしい、と感じました。

 

吉田さん:ありがとうございます。番組側も私の体調に配慮してくださって、最期はピンクのド派手な椅子に座って進行させてもらいました(笑)。テレビを見てくださった方で、同じように感じ取ってくださる方がたくさんいたらいいなと思いました。

 

サンジャポで倒れてしまった次の週も、実はあまり体調がよくなくて。そんなことが続いたこともあり、その年の年末ですべての生放送を降板したんですね。当時、私としては、12月はもう安定期だったので、大きなお腹を抱えたまま、仕事をまっとうして産休に入れると当たり前のように思っていたんです。

 

今考えれば、会社としては、私の身を案じて判断してくれたと思うんですが、そのときは妊娠しながら働くことの難しさや、自分の思いが叶わないこともあるという悔しさを感じたんですよね。

 

── それほど仕事に打ち込んでいたら、当然、降板は悔しいですよね。

 

吉田さん:はい。当時は仕事にすべてを注いでいたので。

 

番組降板で、産休までの3か月間、時間ができてしまったんです。もちろん会社員なので、仕事はあるんですが、そこまで忙しくなくて。エネルギーをどこにぶつけたらいいのかわからなくなってしまって…。

 

そこで、次の目標として掲げたのが、保育士免許の資格でした。

「今しかない」と妊娠後期に保育士免許を取得

── 保育士資格にはもともと興味があったんですか?

 

吉田さん:同居していた祖母が、保育園を運営していたんです。もともと幼稚園教諭だったんですけど、自宅を開放して私立の保育園を家の隣に建てて、園長として勤めていました。

 

私自身、実家の隣の保育園で、子どもたちの声を聞きながら成長していたので、保育士という仕事がすごく身近だったんですね。

 

祖母がどんな思いで働いていたのか知りたかったのもあり、いつか保育士の資格は取りたいと思っていたんですけど、アナウンサーになってからは、勉強する余裕と時間がなくて、挑戦できずにいたんです。

 

そこで、自分が母になるタイミングで、挑戦してみようかなと思いました。

 

── 時間ができたとはいえ、お仕事しながら、妊娠後期のタイミングでの資格勉強は、なかなかハードだったんじゃないですか?

 

吉田さん:実は、逆に「出産したら勉強できないんじゃないか」と思い込んでいたところがあったんです。子どものお世話や、初めての育児に手いっぱいになるんじゃないか、今取らないと今後子育てが落ち着くまでは取れないんじゃないか、と。

 

妊娠後期は、人によっては入院が必要な方もいるので、みんながそうではないと思うんですが、私は母体も赤ちゃんも安定していたので、エネルギーが有り余っていたんですよね。

 

今考えるとちょっとありえないんですけど、朝起きてすぐ勉強を始めて、夜遅くまで机に向かう、みたいに過ごしていました。

 

── 実際に保育士資格を取って、育児につながっていると感じたことは?

 

吉田さん:私は独学で取得したので、現場での経験はないんですが、そんななかでも保育の基本である「子どもは一人の人間である。子どもにも人権があり、誰かの所有物ではない」という意識は、保育士資格を取ったからこそ大きくなりましたね。子どもの意思をなるべく尊重したいという思いで、子どもと関われるようにはなりました。

 

── 実際の育児では、そこが難しいところですよね…。

 

吉田さん:そうですよね。私も、そう頭にありながらも冷静でいられなくて、自分の言った通りに動かない子どもたちを厳しく𠮟っちゃったり、反省の連続なんですけど…。

 

吉田明世さん
2018年に長女を出産。幼い娘を抱き幸せに満ちた表情の吉田明世さん

フリーになったことで「3時にお迎えに行けることも」

── お一人目を出産後、いつ仕事に復帰したんですか?

 

吉田さん:娘が10か月くらいの時に事務所に所属させてもらって、徐々に働き始めたという感じですね。

 

── フリーランスになってよかったなと感じていること、子育てにおいてメリットだなと感じることはありますか?

 

吉田さん:フリーになって良かった点も、マイナスな点もあるんですけど、良かったのは会社員と違って、自分の仕事量を自分で調整できるということですね。

 

働きながら子どもとの時間も大事にしたいという思いでフリーランスになったので、子どもと過ごしたい時はマネージャーさんと相談して、時間調整ができるのはすごく良かったです。

 

会社員と違って1日何時間働かなければいけないという規定がないので、現場に直行して、終わり次第家に帰れるので、時には3時半に保育園にお迎えに行ける日もあります。そういうフレキシブルに働けるところは良かったと思っています。

 

PROFILE 吉田明世さん

1988年生まれ。2011年TBSにアナウンサーとして入社。2019年にフリーに転向。二児の母であり、保育士、絵本専門士の資格を持つ。「ONE MORNING」「THE TRAD」(いずれもTOKYO FM)にレギュラー出演中


取材・文/市岡ひかり 写真提供/吉田明世