三世代同居のわが家でよく問題になるのが、家の片づけ。

 

特に、几帳面で片づけが好きな義父母と、片づけが苦手でだらしない私たち子世帯との間に、しばしば対立が生まれます。

 

片づけたい義父母とこだわりのない子世帯、その戦いの最前線は、階段にありました…。

同居前から懸念だった片づけ意識の違い

そもそも、この対立の懸念は、同居する前からはっきりしていました。

 

家の中をいつも綺麗に保っている義父母とは裏腹に、家の中はいつも雑然として、床に何かしらモノが転がっている息子夫婦。

 

三世代での同居を決めるときにもお互い不安な気持ちはありましたが、最終的に義母から「お互いのルールを押しつけないように、共有部分についてはある程度綺麗にするようにしましょうね。それ以外の、自分たちの部屋は好きにしたらいいから」という提案に頷いた大人四人でした。

 

とはいえ、同居を始めてからも、それまで培ったズボラな習慣はなかなか抜けないもの。

 

私たち夫婦や子どもたちはついつい、共有部分であるリビングに私物を放置しては、渋い顔で義父母からお叱りを受けるのでした。

 

しかし、人間は慣れるものです。いい意味でも悪い意味でも…。

 

初めのうちは叱られるといそいそと片づけをしていた私たちも、同居生活に慣れるにつれ、ついつい義父母の注意を聞き流し、明日、また明日…とずるずると先延ばしにするようになっていったのです。

 

本当に申し訳ないなぁと、これを書いていて改めて思います…。

モノが積み上げられていく階段

そこで業を煮やした義父母は、ある行動に出ます。

 

二階建てのわが家は、主に一階が共有リビングと義父母の部屋、二階が子どもたちの私室と私たち夫婦の寝室と、ざっくり一階二階で世帯のテリトリーが分けられています。

 

二階に義父母が上がるのは、義父の書斎という名の実質物置部屋と、日用品の買い置きをストックしておく納戸に用があるときだけ。

 

その二世帯のテリトリーの狭間である「階段」に、問答無用で、私たち子世帯がリビングに放置した様々なモノを積み上げるようになったのです。

 

モノを置くのは上り下りに支障がないよう、階段の幅半分ほどまで。ですが、わが家の階段は幅が広く、積み上げられたモノたちはなかなかの存在感です。

 

さすがにここに置いておけば邪魔だからすぐに片づけるだろう…というのが義父母の思惑だったと思うのですが、しかしそこは私と夫のズボラコンビ。発揮しなくてもいい本領を発揮してしまうのです。

 

そうしていつの間にかわが家の階段は、絶対にそこにある必要のないモノたちが積み上げられた、負のオーラ漂うひな壇飾りの様相を呈してきたのです。

 

そこに置かれるのが当たり前になってしまうと、もはや疑問にも感じなくなってくる…これがズボラな人間特有の恥ずかしい習性だということは、よくわかっているのです。

 

しかし、一度「ここはモノを置いていい場所」と脳が認識してしまうと、そこはもはや物置なのです。

 

片づけなければ、と頭ではわかっていても、ついついモノを仮置きしてしまい、そしてそこが本格的な置き場になる…そんな状況になってもはや何年が経過したでしょうか。

一念発起して片づける、しかし

さすがにこれではいけない、いよいよそう感じたのは、最近、義父母の足腰が少しずつ衰えていることを実感したときでした。

 

今まではただ、だらしない、散らかっている、で済んでいたのですが、万が一義父母が階段で足を滑らせたりしたとき、余計なモノがあると怪我の原因になってしまいかねません。

 

一念発起した私は、ついに数年来物置きのひな壇と化していた階段を、何とかかんとか綺麗に片づけすることに成功したのです。

 

これには義父母もご満悦です。

 

「やっと綺麗になったね!」「やっぱり階段がスッキリしてると気持ちいいわね」とお褒めの言葉をいただき、私もこれからはこの階段を綺麗に保つのだ、という誓いを新たにしました。

 

しかし数日後。

 

階段に、見慣れない段ボール箱が….。

 

義父母に聞くと、「ちょっと整理したい荷物があるんだけど、置き場所がないから置かせてね」とのこと。

 

大体の皆様の予想通り、この段ボールは階段に置きっぱなしになって数週間が経過しました。

 

さらにその上に義父母の手によって積み上げられる私たち子世帯の雑多なモノたち…。

 

「階段は物置」という認識は、いつの間にか義父母をも蝕んでいたのです…。

 

申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、再度ひな壇と化した階段を見上げる私でした。


文/甘木サカヱ イラスト/ホリナルミ