就職して挫折、母が押してくれた背中
── 卒業後にはテレビ局やミスコンテストなど、さまざまなことを経験されましたね。
金子さん:
父が証券マンから村長となったこともあり、政治の世界だけしか知らないのではなく、しっかりと就職活動をしていろいろな世界を見たあとで選挙に出たい、と思って就職しました。
ですが、新潟放送に就職をしてからすぐ顎関節症になってしまい、1年半ほど療養をすることになりました。頭痛やめまいがして立てないこともあり、仕事は辞めざるを得ませんでした。
結局顎の骨を切って噛み合わせを直す手術をしたんですが、そのときは本当に辛かったです。食べ物もまともに食べられなくて、社会に出ていくこともできない。家で鬱々としていた私の背中を押してくれたのは、やっぱり母でした。母が「新潟県きものの女王」に勝手に応募していて、「通ったから審査に行ってね」と。
── お母様がきっかけを作ってくださったんですね。
金子さん:
そうなんです。でも肝心の審査の日には、「北海道旅行行ってくるから頑張って!」っていなくて(笑)。本当にパワフルな母なんです。審査の日は着物を着て、何をしゃべったらいいのかもわからず、獅子舞の話をしました(笑)。
「きものの女王」をいただけて、そのご縁でミス日本にもチャレンジすることになりましたが、その時は自分から真剣に取り組みました。
ミス日本は外見だけでなく「心美人」ということを重視していて、日本女性として必要な教養を学ぶ機会をいただき、そこは貪欲にやりました。人生でいちばん「美」に対して向き合った期間だったかなと思います。
ミス日本関東代表に選ばれたご縁で、韓国でのお仕事をいただくことになり、午前中は留学、午後はお仕事という形でしばらく韓国に滞在したこともあります。
その時に韓国の方の歴史認識や日本への感情などをリアルに知ることができ、帰国してからもしっかりと自分が感じてきた実情を伝えたいと、フリーライターとしてコラムを執筆したり、講演活動をしたりもしていました。韓国での実体験は、政治家になったときも経験として大きく生きましたね。
そういったさまざまな経験をして29歳で新潟市議会議員に立候補しましたが、それまで経験してきたことは1つも無駄になっていないなと思っています。
PROFILE 金子恵美さん
1978年新潟県生まれ。新潟放送勤務を経て、2003年にミス日本関東代表に選ばれる。07年新潟市議会議員選挙に立候補し当選。新潟県議会議員を経験後、12年に衆議院議員へ。10年間の議員生活を経て、現在は企業顧問とテレビコメンテーターなどとして活動中。
取材・文/藤井みさ 撮影/井野敦晴