両親の離婚で祖父母に育てられた風間トオルさん。認知症になり外を徘徊するようになった祖父を学校帰りに探し回る日々──。「すごく悲しい気持ちになった」エピソードは考えさせられるものでした。そして、その祖父が亡くなって真っ先に考えたこと。風間さんの優しさの本質に触れる思いがしました。
寡黙な祖父が全裸で徘徊するようになって

── 5歳で両親が離婚し、父親と暮らすことを選んだ風間さん。ところが、その父親もほどなく家を出て、その後は父方の祖父母に育てられました。そんな祖父母との暮らしが続くなか、小学2年生のころ、同居する祖父の様子に異変が現れ始めたそうですね。当時、その変化は風間さんにどう映っていたのでしょうか。
風間さん:もともと糖尿病を患っていたんですが、少し前から体調を崩して寝込みがちになり、そこからだんだん様子がおかしくなっていったんです。当時は「認知症」という言葉も今ほど知られていませんでしたから、「病気のせいでこうなっているのかな」「歳を取ったら、みんなこうなるのかな」という感覚で、介護をしている意識すらありませんでした。
そのうち徘徊するようになって、しかも困ったことに服を脱いで全裸で外へ出ていってしまう。「どこに行くの?」と聞くと、「山梨の田舎に帰る」と言って、おばあちゃんがなだめても聞きいれない。それまで寡黙でおとなしかったおじいちゃんが、大声を出したり暴れたりする姿にビックリしました。その後は、学校から帰ると、徘徊するおじいちゃんを探し回る日々が始まりました。
── まだまだ遊びたい盛りの小学生です。放課後に祖父を探し回る毎日を、どんなふうに受け止めていたのでしょうか。
風間さん:おばあちゃんひとりでは大変だし、ほかに見る人もいないので自分がやるものだと思っていました。「つらい、大変だ」という感覚も、そこまでなかったですね。
今でも覚えているできごとがあります。ある日の下校中、友だちが「見ろよ、すごい人がいる」と指をさしたんです。見たら、全裸で歩いているうちのおじいちゃんでした。しかも歩きながら排便して、それを壁に塗りたくっていて。友だちは「うわー!」と騒ぐし、さすがにその場では「自分のおじいちゃんだよ」とは言えなくて、思わず一緒に逃げてしまったんです。
やっぱり知られたくなかったんですよね。でも後になって、知らないふりをして逃げてしまったことが申し訳なくて、すごく悲しい気持ちになりました。だから、友だちがいなくなったのを見計らってから、すぐにおじいちゃんを探しに戻ったんです。
子どもながらにあった使命感
── 大人ひとりを、子どもの力で家まで連れ戻すのは簡単ではありませんよね。
風間さん:おじいちゃんのほうが身長も体重もありますから、力ずくではどうにもならないんです。最初は「どうしたらいいんだろう」と考えました。様子を観察しているうちに「こっちだよ」と引っ張ると、おじいちゃんは必ず反対方向へ行こうとすることに気づいたんです。だったら、わざと帰らせたい方向と逆のほうに引っ張ればいいんだって。そうしたら、うまく家のほうへ誘導できるようになりました。
ただ、その間もおじいちゃんは全裸ですから、周りの人に申し訳ない気持ちで。人が通るときには電信柱の陰におじいちゃんと一緒に隠れて、いなくなったらまた誘導して、そうして人目を避けながら連れて帰りましたね。
── 力ずくではムリとわかると、祖父を思い通りに動かそうとするのではなく、自分のやり方を変えた。小学生でそこまで発想を切り替えられたのは、なぜだったのでしょう。
風間さん:怒ったり力ずくで引っ張ったりしたところで、相手が思い通りになるわけじゃないですから。だったら、こちらの接し方や誘導のしかたを工夫するしかない。とにかく「自分がやるしかない」使命感もあったのでしょうね。目の前で起きたトラブルをどう片づけるか、子どもなりに自然と知恵を絞っていたんだと思います。
── 当時、周りに相談できる大人はいなかったのでしょうか。
風間さん:相談するということはなかったですが、助けてもらうことはありました。おじいちゃんが家の壁や畳に排泄物をなすりつけていて、帰ったらものすごい臭いが充満していたこともあったんです。お隣さんにホースを借りて、畳を全部あげて洗い流しました。
近所のお宅の壁を汚してしまったときもありましたけれど、誰からも責められたことはなかったですね。近所の人たちは事情をわかっていたでしょうし、警察の方もおじいちゃんが徘徊することを把握していたと思います。みんな、あえて口を出さずに見守ってくれていたんじゃないですかね。
祖父が亡くなり真っ先に向けた祖母への思い

── 小学生低学年なら「なんで自分が」「父親がいてくれれば」と理不尽に思ったり、そこから逃げ出したくなったりはしなかったのでしょうか。
風間さん:それはまったくなかったですね。俺がやらないとほかに誰もいないと思っていましたし、それまでおじいちゃんとおばあちゃんにお世話になって、かわいがってもらっていた気持ちも、もちろんありました。
親父のことは、俺のなかではもういないようなものでした。「親父がいてくれれば」なんておばあちゃんに言っても、困らせるだけじゃないですか?そんなことは言っちゃいけないと思っていました。逃げるという発想もなかったですね。自分の居場所は祖父母の家しかなかったし、そこでどうやって共存していくか。それだけを考えていました。考えてもどうにもならないことは考えない。何とかできることなら、どうすれば少しでもいい方向にできるかを考えて工夫する。そういう感じでしたね。
── そうした日々は、小学校を卒業するころまで続きました。祖父を見送ったあと、ようやく自分の役目が終わった、という感覚はあったのでしょうか。
風間さん:おじいちゃんが亡くなったのは、中学校に上がる直前でした。朝起きたら元気がなくて、そのまま眠るように息を引き取りました。突然のことでしたね。
お葬式で親父とも会いましたけど、介護をしていたことについて、とくにねぎらいの言葉をかけられたわけでもありませんでした。だからといって、それで親父を責める気にもならなかったですね。それより気になっていたのは、ひとり残されるおばあちゃんのことでした。長年連れ添ったおじいちゃんがいなくなって、張り合いをなくしてしまうんじゃないかって。「介護が終わってホッとした」というより、これからおばあちゃんを支えなきゃ、というほうに気持ちが向いていましたね。
取材・文:西尾英子 写真:風間トオル