5歳で両親が離婚、父の失踪、祖父母との風呂なし生活…。話を聞けば聞くほど、相当生活も苦しかったことがうかがえる風間トオルさんの幼少期。しかし、本人に芽生えたのは両親への寂しさや恨み節ではありませんでした。ないものは欲しがらない、ないなら作ればいい、その自立心や生きる知恵は目から鱗でした。

両親離婚、選んだ父も1週間で家から出て行き

風間トオル
今でもスタイル抜群の風間さん。こんなさわやかな60代いる⁉

── 数々のドラマや映画で活躍し、端正なルックスと爽やかなイメージで知られる俳優・風間トオルさん。その一方で、少年時代は両親と離れ、祖父母のもとで育ちました。ご両親が離婚されたのはまだ5歳のとき。当時、その事実をどう受け止めていたのでしょうか。

 

風間さん:じつはその前から、お袋に好きな人がいるんじゃないかって、なんとなく気づいていたんです。お袋はその男の人と会うときに俺を連れて行っていたので、「このおじさんは誰なんだろう」と思っていて。だから両親が別れることになって、お袋から「父親と母親、どっちについていくか選びなさい」と言われたときも、「ああ、やっぱりそういうことか」と。子どもながらに直感で察していたんですよね。

 

── 幼い子どもにとっては残酷にも思える二択ですが、そのとき風間さんは、お母さんではなく「お父さん」と答えたそうですね。

 

風間さん:お袋について行っても、そこには知らないおじさんがいるわけじゃないですか。それなら自分が知っている人がたくさんいる環境のほうがいいなと思ったんです。もともと父方の祖父母と一緒に暮らしていましたから、「おじいちゃん、おばあちゃんと一緒ならいいや」と。

 

ところが、親父にも好きな人がいたみたいで、お袋が出て行って1週間くらいで、今度は親父まで家を出ていってしまったんです。 

 

── わずか1週間で、今度は父親まで。「せっかくお父さんを選んだのに」というやるせない思いは残りませんでしたか。

 

風間さん:それが全然なかったんですよね。おばあちゃんから「そのうち帰ってくるよ」と言われていたので、「じゃあ、そうなのかな」くらいに思っていて。結局、帰ってはきませんでしたけれど。祖父母にはすごくかわいがられていましたし、生活自体はそれまでと変わらなくて、寂しさもあまり感じませんでした。お袋にも親父にもそれぞれ好きな人がいて、それで幸せなら、それはそれでいいのかなって。 

 

── その後、小学生のころ、一度お父さんに呼ばれて会いに行ったことがあったそうですね。

 

風間さん:呼ばれたときは「もしかして何か状況が変わるのかな」という淡い期待のような気持ちもありました。会いに行ったら、親父には新しい女性がいて、3人でご飯を食べたんです。でも「一緒に暮らそう」という話は出ませんでした。顔を見たかっただけなのかもしれないけれど、「だったら、なんで呼んだんだろう」とは思いましたね。親父が何を考えていたのかは、今でもよくわかりません。 

友だちの家で「うちはほかの家と違う」と知り

── ご両親のことを祖父母に尋ねたりはしなかったのですか。

 

風間さん:たぶん一度もなかったと思います。一生懸命育ててくれているのに「お父さんはなんで帰ってこないの?」「お母さんはどこ?」などと聞くのは申し訳ないし、失礼な気がして。友だちの家で、お母さんがおいしいお菓子を出してくれると、「またこの家に来よう」と思ったりはしましたけど(笑)。だからといって、お袋を思い出して寂しくなることもなかった気がします。帰ってこないならしょうがない。ここで暮らしていくしかない、という感じでしたね。

 

── ご両親が相次いで家を出て、その後、お父さんと会っても一緒に暮らすことにはならなかった。それでもお話を伺っていると、ご両親を責めるような言葉が出てきません。小学生とは思えないほど大人びているというか、どこか達観していたようにも感じます。

 

風間さん:今思えばちょっとませた子どもだったのかもしれません。でも、当時は本当にそんなふうに感じていたんです。祖父母の存在も大きかったと思います。大事にしてもらいましたけど、ベタベタ甘やかされる感じではなく、「昼間は外にいたほうが体にいいから、日が落ちるまで帰ってくるな」という感じで、いい意味で放任でしたね。

 

ずっと外にいるから、公園で重い石を持ち上げて筋トレしたり、鉄棒で「誰もやっていない新しい技」を自分で考えて練習したり。そうやってお金をかけずに遊んでいるうちに身体が鍛えられて、学校の運動能力測定で学年1位になったこともありました。

 

── 祖父母に大切に育てられる一方で、暮らし向きはかなり厳しかったそうですね。自分の家が友だちの家とは少し違うと気づいたのは、いつ頃だったのでしょう。

 

風間さん:小学校へ入って友だちの家に遊びに行くようになってからですね。友だちの家にはお風呂があって、クーラーや大きなテレビもある。「夏は涼しくて冬は暖かいんだ」と知って、だんだん「うちはほかの家とは違う」とわかってきました。とくに冬は寒いのが一番つらかったので、暖かい部屋は羨ましかった。でも「うちにも欲しい」とねだる気にはならなかったですね。買えないことはわかっていましたし、言っても祖父母を困らせるだけですから。

 

それなら早く大人になって、自分で稼いで買えばいいと思っていました。住んでいるところもなるべく知られたくなくて、友だちの家には遊びに行っても、自分の家には呼びませんでした。

「大人になること」が当時の自分の支えだった

風間トオル バレンタインのプレゼント
今もバレンタインにはたくさんのチョコやお酒、手紙が届く

── とくにつらかったという冬の寒さは、どうやってしのいでいたのですか。

 

風間さん:すきま風が入ってくるので、布団の周りを段ボールで囲っていました。冷たさは足元からくるので、段ボールを足の形に切って靴下の中へ入れて、今でいう、インソール代わりにしたり。ほかにも、朝、学校に向かう途中、多摩川で丸い石を拾ってきて、コンクリートの地面や壁にグーっと押し当てながら50メートルくらい一気に走るんです。そうやって摩擦で温かくなった石を懐に入れて学校へ持っていく、いわば「即席の使い捨てカイロ」です(笑)。 

 

──「ないもの」をただ嘆くのではなく、どうすれば「代わりになるもの」を手に入れられるか考えていたんですね。

 

風間さん:ないものはないので、「今あるものでどうやって近づけるか」を考えて試してみる。実験みたいで、それが子ども心に楽しかったんでしょうね。好奇心は旺盛だったと思います。食べるものもそうでした。あくまで個人的な体験談なので真似しないでいただきたいのですが、そのへんに生えている草や花を見て、「これ食べられるかな」と試してみたり。紫のアサガオはほんのり甘かったので、素揚げにしたら美味しかった。

 

バレンタインに何個かもらったチョコレートは大切な栄養源に。365日分にわけて、毎日ひとかけらずつ、1年かけて食べていましたね。家にお風呂がなかったので、外にある洗濯機を風呂代わりにしたこともあります。服を着たまま洗濯槽に入り、固形石鹸を持って洗濯槽が回らないように両足を突っ張る。服と体を一度に洗えて一石二鳥だなと。こちらも危ないので絶対に真似しないでください。

 

朝起きたら家の中にカマキリがいたこともありました。寝ぼけていたせいか、ちょっとおいしそうなグリーンサラダに見えたんです(笑)。向こうから来てもらえる食べ物ってラクだなと思って、固いところをかじったら苦かった。そのときはお腹を壊しませんでしたけど、カマキリには菌があるから気をつけろって、大人になってから知りました。

 

── すごいサバイバル能力ですね。カマキリにとっては、思わぬ災難でしたけど(笑)。そうした好奇心は、生活の工夫以外にも発揮されていたのでしょうか。

 

風間さん:夏休みの自由研究も、どこかに出かけるわけじゃないから、「家でできることを調べよう」と思って。家にゴキブリがいっぱいいたので、「ゴキブリマンション」を作って、その生態を1週間くらい観察して提出したら先生に褒められて、学校でも評判になったんです。多摩川の水質調査もしました。友だちと毎日少しずつ下流から上流へ歩いて、Tシャツでこした水を飲んでみるんです。でも、友だちは途中から飲まなくなりましたけど(笑)。

 

── 一方で、子どもの力ではどうにもならないこともあったと思います。そうした現実を、幼い心はどう受け止めていたのでしょう。

 

風間さん:今は手に入らなくても、大人になれば自分で稼いで、欲しいものを買えるようになる。だから「早く大人になりたい」という気持ちは強かったですね。それが、当時の自分にとっては心の支えだったんだと思います。

 

取材・文:西尾英子 写真:風間トオル