入籍からわずか493日で妻・睦さんをがんで亡くした清水浩司さん。悲しみの余韻に浸る間もなく、生まれたばかりの息子を抱えて子育てや手続きに追われます。心が追いつかないまま走り続けた結果、妻の死後数か月後にうつ病を発症。会社も辞め、絶望の底に突き落とされますが、再び前を向けたのは生後間もない息子の存在があったからでした。

妻亡き後も、ひたすら神経をすり減らす日々

清水睦
息子を出産後すぐに闘病生活に入った妻の睦さん

── 結婚直後に妻・睦さんの妊娠がわかり、その数か月後に直腸がんが発覚。過酷な闘病と出産を経て、入籍からわずか493日で妻を亡くした清水浩司さん。看病と育児に追われ、限界を超えて走り続けた清水さんでしたが、妻の死から数か月後、今度は自身の心身が崩れ、ベッドから起き上がれない状態に陥りました。当時、何が起きていたのでしょうか。

 

清水さん:睦さんが亡くなった直後は、悲しみに浸るような余裕はいっさいありませんでした。衝撃があまりに大きすぎて、脳がフリーズしていたんだと思います。葬儀やさまざまな手続き、身の回りの片づけ、まだ1歳にもならない息子の世話と、やらなければならないことが次から次へと重なって、それらをこなすだけで精いっぱいでした。悲しいという感情さえ湧いてこなくて、当時は「自分は冷たい人間なのだろうか」と思ったこともあります。

 

── 心から大切な人を亡くした直後は、現実に心が追いつかず、悲しみすら感じられないことはあります。

 

清水さん:まさにそうでしたね。僕の場合はいろんなことがひと段落して、闘病中の記録を綴っていたブログ『がんフーフー日記』を本にまとめる作業に入ったころ、改めて睦さんを亡くした現実と向き合うことになって、それまで抑え込んでいた悲しみや疲れが一気に押し寄せてきました。

 

闘病中は五感のセンサーを360度全開にして、感情を湯水のように使い果たしているような状態でした。常に何が起きるかわからず、目の前の出来事に必死で反応していました。自分のキャパシティを超えている自覚はありましたが、「今は無理をしないといけない状況だ!」と自分に言い聞かせていたんです。後でガタがきても仕方がない、と。ある意味で「感情の前借り」をしていたんだと思います。

 

── その「感情の前借り」のツケが、時間差でやってきた。張り詰めていた糸が切れてしまった。きっかけは何だったのでしょうか。

 

清水さん:引き金になったのは、とても信頼していた先輩からの言葉でした。これからの仕事や息子のことについて「すべてはおまえの責任なんだから、気持ちを強く持って頑張らないとだめだぞ」と言われたんです。相手からすれば励ましのつもりだったのかもしれません。でも当時の僕には、「自分で選んだ人生なのだから、その先も自分で何とかしろ」と突き放されたように響いてしまった。

 

睦さんの闘病中は、治療の進め方でも常に気を使っている状態でした。彼女の家族と後で揉めないよう情報を丁寧に共有したり、一人ひとりに意見を聞いたりと、神経をずっとすり減らしていたんです。そんななかでの出来事だったので、それまで自分を支えていたものがポキッと折れてしまう感覚がありました。

 

── 心が折れてしまったあと、体調にはどのような異変が現れたのでしょうか。

 

清水さん:感覚が過敏になって、照明の明かりがまぶしすぎて目に突き刺さるように痛いんです。テレビの音がこちらを圧迫する感じで、真っ暗な部屋で横になっていることしかできませんでした。幼子がいるのに、自分は無職で、寝たきりで、何もできない。「この先、本当にやっていけるのだろうか」というプレッシャーに押しつぶされそうで、人生で一番きつい時期でした。