事故で9歳の時から車いす生活を送るようになった佐藤聡さん。「階段があれば登れない」と障害者だからこその日常生活の困難に直面しながら、自分にも差別意識があることにも気づいたそうです。そして、海外ひとり旅で全財産を失った経験が、後の人生を決定的なものにしていきます。
障害児施設では自由がなかった

── 9歳のときの事故で脊髄を損傷し、車いす生活になった佐藤聡さん。その後、約4年間を障害児施設で過ごしました。そこでの日々は、佐藤さんにとってどのような時間だったのでしょう。
佐藤さん:とにかく自由がありませんでした。起床から就寝までスケジュールが決められ、外にも出られない。家族に会えるのは月3回、実家に帰れるのも年に数回。当時は障害のある子どもは養護学校へ通わせるという分離教育が基本でした。そうした環境に長くいると「自分たちは社会の邪魔者なんだ」と感じ、何かをしようとする意欲すら奪われていくんです。応援してくれる先生や看護師さんもいましたが、それでも「早くここを出たい」とずっと思っていました。
── 障害児施設から地元の普通学校に戻りたいと思いながらも、家族にはなかなか言い出せなかったそうですね。
佐藤さん:施設にいる間に「普通のことを望んではいけない」という感覚が染みついていたんです。そんな時、2つ上の先輩が地域の普通高校を受験しました。結果的には、学力ではなく車いすで通える設備がないことを理由に入学できなかったのですが、その姿を見て「自分も希望を言っていいんだ」と気づきました。僕も地元の普通中学に戻りたいという気持ちはずっとありましたが、それまでは言ってはいけないと思っていた。「ダメかもしれないけど、挑戦してみたい」と思うようになったんです。
それでも、実家は雪国で冬は親の送迎が必要です。親に迷惑をかけると思うと言い出せなくて。見かねた看護師さんがこっそり父に連絡してくれ、ようやく本音を話せました。
父が中学校に相談すると、新任の校長先生から「本人も連れてきて」と言われたそうです。学校へ行ったら、驚きました。机の上に、車いすが通るためのスロープの図面が準備されていたんです。「僕を受け入れてくれるんですか?」と聞くと、「あなたはこの町の子どもなんだからこの学校に来るのは当然ですよ。あなたが来てくれたら他の生徒にとてもいい影響があるからぜひ来てください」と。その言葉が、本当に嬉しかったですね。
── 願っていた暮らしを取り戻し、地元の普通学校に戻れたのですね。そこから生活はどう変わりましたか。
佐藤さん:毎日が本当に楽しかったですね。施設では建物の外に出ることさえできなかったので、自分の意思で外に出て、右に行っても左に行ってもいい。それだけで自由な世界に戻れたと嬉しくて。友だちと話すのが楽しくて、毎朝1時間も早く登校していたくらいです。高校も地元の高校に進みました。大学進学では、当時は車いす学生を受け入れる大学の情報がほとんどなかったため、自分で各大学に問い合わせ、現地にも足を運んでエレベーターやスロープ、車いす対応トイレなどの設備を確認。最終的に関西学院大学に進学しました。
「階段を登れない自分が悪い」価値観が一変
── その後、大学で出会った重度障害者の横須賀俊司さんの存在が、それまでの佐藤さんの常識を揺るがすことになります。
佐藤さん:当時の僕は、大学に通えるのは介助なしで車いすを自走できる人くらいだと思っていました。ところが、頸髄損傷で手が動かない横須賀さんが、友人たちと学食で食事を共にしていたんです。寮で暮らし、30人ほどの学生に介助を教えて手伝ってもらい生活していると知り、衝撃を受けました。
彼からは障害そのものの捉え方も教わりました。それまで行きたい店に階段しかなければ「上れない自分が悪い」と諦めていましたが、彼は「エレベーターをつけない社会が悪いんだ」と言うんです。障害は個人にあるのではなく、社会の中にあるという「社会モデル」の考え方ですね。「自分のせいじゃなかった」と救われ、その後は障害者問題などを扱うサークルで活動を共にするようになりました。
── ところがその後、障害者問題に関わる活動からいったん離れています。何がきっかけだったのでしょう。
佐藤さん:サークルで議論していたとき、横須賀さんから「言語障害のある重い障害の人と結婚できるか」と問われて即答できなかったんです。その瞬間、自分の中にも差別意識があることに気づきました。「障害者だから他人に差別意識がない」なんてことはない。そうした意識を持ったまま、活動をしている自分に矛盾を感じ、嫌になってしまったんです。
── 自分の中の見たくない部分をえぐられるような感覚だったのでしょうか。
佐藤さん:自覚しているからこそ、他人から指摘されたくなかったのでしょうね。後になれば「矛盾を抱えたままでも障害者運動に関わっていい」と思えるようになりましたが、当時は「差別意識のある自分が、差別をなくす運動をしていいのか」と思いつめ、活動から離れてしまいました。そして、できるだけ人と関わらずに生きていこうと思ったんです。
そんな頃、同じ大学の出身で、自分と同じ障害がありながらバックパッカーでヨーロッパを旅した廉田俊二さんの存在を知りました。面識はありませんでしたが、自分も海外へ行きたくて直接話を聞きに行き、旅のしかたを教えてもらいました。「それなら自分にもできる」と思い、ひとり旅に出ることを決めたのですが、最初の目的地であるパリに着いて2日目、全財産を盗まれてしまったんです。
── 旅に出てわずか2日目に全財産を!?いったい何があったんですか。
佐藤さん:廉田さんの「ホテルを予約せずに行くのが旅人だ」という美学に憧れ、駅や歩道で野宿していたんです。1日目は駅で寝たのですが、人通りが多くて眠れず、2日目は静かな歩道で寝ることにしました。黒人のお兄さんが「危ないから安い宿に行きなさい」と教えてくれたのに断って(笑)。鞄をお腹に紐でくくりつけて寝たのですが、目覚めたらなくなっていたんです。