シェイプUPガールズのメンバーとして芸能界で活躍してきた中島史恵さん。41歳で結婚し、不妊治療に取り組みましたが、子どもを授かることはありませんでした。その後、52歳のときには子宮筋腫の悪化により子宮の全摘出手術を経験。「子どもがいる人生」に憧れていた中島さんは、思い描いた未来との違いをどのように受け止めたのでしょうか。
「今世の私は、こういう人生だったのかな」

── 現在58歳の中島さんが20代、30代だったころは、結婚や出産を機に仕事を辞め、専業主婦になる女性も少なくありませんでした。ご自身も、いつかは子育てをすると思っていましたか?
中島さん:思っていました。子育てに憧れもありましたね。結婚したのが41歳のときだったので「1日も早いほうがいい」と、不妊治療をすぐに始めました。
── どのような治療を受けたのでしょうか?
中島さん:自然に授かることを目指しながら、人工授精などにも取り組みましたし、卵子凍結もしました。着床しかけたこともありましたが、なかなかうまくいかなくて。46歳ごろまで、4年ほど治療を続けました。
── 4年間となると、心身の負担も大きかったのでは?
中島さん:そうですね。授からなかったときには、やっぱりショックを受けましたが、主人が治療に協力的だったことはありがたかったです。再婚の主人は、前の結婚で子どもがいましたが、私が「子どもが欲しい」と言ったことを受け入れてくれたんですよね。
ただ、お互いのメンタルも含め、長く続く不妊治療はひと筋縄ではいかないこともありました。精子を持っていかなくてはいけない通院の前日に、主人とケンカしてしまったこともありましたね。今では理由も思い出せないくらい些細なことが原因のケンカでしたけど。やはりメンタルはカラダに影響するのであまりよくなかったぁと後で思い返したりと。
── 治療をやめると決めたのは、どのようなタイミングでしたか?
中島さん:46歳になる少し前です。「もしかしたら着床したかもしれない」というときと、自分でヨガスタジオを開設しようとしていた時期が、ちょうど重なったんです。でも結果として子どもは授かりませんでした。そこで踏ん切りがついて、ヨガスタジオの仕事へ進むことに。「これも何か、神さまが示してくれた道なのかな」と思ったんです。
── 4年間取り組んだ不妊治療を辞める決断…。現実をすぐに受け入れられたのでしょうか?
中島さん:子どもが欲しいのに授からず、着床せずにつらい思いをしてきましたから、いろいろ考えることはありましたよ。でも、何でも縁とタイミングなんだなと思うんです。自分が願っても、どうにもできないことがある。それを経験できたことも、今ではよかったと思っています。
何もしないまま「子どもが欲しかった」と思い続けていたら、不完全燃焼になっていたかもしれません。でも、できることはやった。主人の協力も得られて、周りからも温かい言葉をかけてもらいましたから。
人生にはいろいろな選択肢があって、自分なりに種をまきながら進んでいく。その結果、私は今の道へ来たんですよね。「今世の私は、こういう人生だったのかな」と受け止められているんだと思います。
52歳で子宮を全摘出「自分の答えはもう出ていた」
── その後、子宮筋腫が大きくなり、子宮の全摘出手術も受けています。
中島さん:筋腫があることは以前からわかっていましたが、大きくならなかったので経過観察になっていました。撮影でレオタードを着たときに「少しお腹が出ているな」「張っているな」と感じる程度で、自覚症状もほとんどありませんでした。ところが毎年受けている人間ドックで、急に9センチほどに大きくなっていることがわかったんです。
── 子宮を摘出することに、迷いはありませんでしたか?
中島さん:手術を受けたのは52歳。不妊治療を経験して、それでも授からなかったので、もう自分のなかでは答えが出ていました。
先生からは、女性ホルモンを分泌する卵巣は残し、筋腫のある子宮だけを摘出する方法を説明していただき、 納得して決めました。まだ子どもが欲しいという気持ちが残っていたら、子宮を手放すことに執着があったかもしれません。でも、そのときには気持ちの整理がついていました。
ただ、この10年ほどを振り返ると、40代から50代は、不妊治療や全身麻酔での子宮摘出手術、ヨガスタジオの経営など、人生でいちばんいろんなことがありました。デビュー当時などよりも、大変な時期だったかもしれません。
どんな人生も、自分の人生だから

── 旦那さんとの2人家族の人生を歩んでいらっしゃいますが、どのような関係性ですか?
中島さん:主人はいつも忙しそうに仕事をしていて、見ていて飽きない人なんです。結婚して長くたった今も「かわいいな」と思わせてもらえることに、感謝しています。
私は主人を「あきらさん」と呼び、主人は私を「ふみちゃん」と呼びます。もし子どもがいたら、お互いを「お父さん」「お母さん」と捉えるような存在になっていたかもしれません。今の私たちはパートナーであり、友達の延長のような関係です。その距離感が心地いいんです。彼と結婚した意味は、こういう夫婦の形を見つけることだったのかなと思うこともあります。
── 旦那さんがきっかけで仕事の幅が広がったこともあったそうですね。
中島さん:2014年にヨガスタジオを開設したきっかけも主人でした。30歳を過ぎてから10年ほど、ガールズヒップホップのレッスンに通っていました。あるとき、 私のダンスの発表会を見に来てくれた主人が「ふみちゃん、ダンススタジオとかやればいいじゃん」と言ったんです。私は「そんなことは無理。教える資格ももっていないから」と返したのですが、「じゃあそういう先生を雇えばいいじゃん」と言われて。
結局、経験のあったヨガでスタジオをオープンすることになるのですが、私は当時、経営にまったく見識がなかったため、決断するまではかなり悩みました。いっぽうで主人は実業家なので「絶対にやったほうがいい。ふみちゃんの今後のためにも、芸能界の仕事としてもきっと活きるんじゃないか」と背中を押してくれましたね。
── 子どもがいなかったからこそ、できたこともあると感じたことはありますか?
中島さん:ヨガスタジオの運営には、全力で向き合えたと思っています。朝8時から夜9時まで働いていました。スタッフが鍵を開け忘れ、お客さまから「史恵さん、スタジオが開いていません」と直接、電話がかかってきて、慌てて走って行ったこともありました(笑)。
24歳で芸能界に入ってからは、マネージャーさんに仕事を取っていただく環境にいました。でも、スタジオではお客さまやスタッフ、インストラクターさんがいなければ、何も始まりません。運営をいちから経験したことで、「ひとりでは何もできない」と実感しましたね。
── 経営となると、スタジオで働くスタッフをまとめる仕事もありますよね。
中島さん:自分の子どもでもおかしくない年齢のスタッフもいました。「お母さんはいくつ?」と聞いたら、私と同じくらいだったりして。仕事なので、ときには叱ることもありましたが「ここを選んでよかった」と思ってもらえるように育てたいという気持ちがありました。私が若い人たちから教わることも、たくさんありました。
子どもを育てる人生ではなかったけれど、違う形で人の成長に関わる機会をもらったのかもしれません。
── 不妊治療や手術、その後の仕事を振り返って、ご自身の歩んできた人生を今はどう感じていますか?
中島さん:子どもがいる人生も、いない人生も、自分の人生なので、とにかく後悔のないように生きたいと思っています。
高齢での不妊治療も、未経験のヨガスタジオ運営も、何かを選ぶときは難しいほうを選んで挑戦してきました。そこで経験できることや、人との出会いが財産になったと思います。とはいえ、何かをひとりで解決するのは難しかったこともありました。そうしたときは必ず、パートナーや友達に話すようにしています。後押ししてもらえたり、自分の本当の気持ちを確かめられたりしますから、周りにいてくれる人のありがたさを感じる日々です。
取材・文:石野志帆 写真:中島史恵