SNSで「美人すぎる」と注目を集めるインフルエンサー・松本里乃さん。実は彼女、最速124キロを誇る右腕で全国高校女子硬式野球選手権大会準優勝を果たし、イチローさんを打ち取ったこともある「本気の野球少女」です。「イチロー選抜 KOBE CHIBEN」との試合では、打席に立ったイチローさんをセカンドゴロに打ち取り大きな話題となりましたが、華やかな現在の姿の裏には、野球だけに青春を捧げた泥臭い日々がありました。

実は、イチロー選手だとわかってなかった

松本里乃
「イチロー選抜 KOBE CHIBEN」との試合で、イチロー選手と対戦した松本さん

── 女子高校硬式野球選抜のメンバーに選ばれ、「イチロー選手を打ち取った女性ピッチャー」として大きな話題を呼びました。当日のマウンドはいかがでしたか?

 

松本さん:実は試合中は最後まで「イチロー選手」という意識がなかったんです。目があまりよくなかったというのもありますが、いつもマウンドに立つと相手が誰かが気にならなくて。とにかく「目の前の打者をどう抑えるか」だけに集中していたので、当日もイチロー選手に気づきませんでした。

 

試合が終わってから「イチロー選手を打ち取ったね!」「すごい!!」と周りの方に言われて、「えっ、本当!」って(笑)。私がいちばん驚きましたし、嬉しかったです。

 

── すごい集中力ですね。松本さんはいつから野球を始めたのですか?

 

松本さん:小学4年生で野球を始めました。きっかけは「兄」です。私は兄2人、弟2人の5人きょうだいで、兄たちは野球も勉強もできて、両親がいつも嬉しそうにしていました。「私も両親を喜ばせたい!」と思ったのですが、私は勉強が苦手だったので(笑)「野球で頑張ろう!」と兄たちと同じチームへ入りました。スポーツは得意だったし、兄たちのお下がりの道具が使えるから、両親も喜ぶと思ったんです。

 

── 家族思いなんですね。

 

松本さん:家族みんな仲良しで、両親のことが大好きでした。5人兄弟なので、裕福というわけではなかったですが、両親がいつも愛情を注いでくれたおかげで、不自由だと思ったことは一度もなかったです。両親はいつも「里乃は里乃のままでいいから」と言ってくれましたが、試合で活躍すると両親も嬉しそうで、「もっと上手になりたい!」と練習に熱が入り、誰よりも練習をするようになりました。

 

── 中学生のときは、野球ではなくソフトボールをされていました。

 

松本さん:小学6年生のとき、試合の得点係をしていたときに、試合内容について質問をされたので答えていたら、ある保護者の方に「ムダ話をしてはいけない」と注意されました。「ムダ話ではないです」と伝えたことで言い争いになってしまい、感情的になった相手の方に頭の上からホットコーヒーをかけられたんです。さいわい、火傷はしませんでしたが、あまりの衝撃で動けなくなってしまいました。

 

レギュラー争いなど、さまざまな要因や誤解が積み重なっていたことや、女子は人数が少ないぶん、よくも悪くも目立っていたのかもしれません。でも、その出来事が本当にショックで、大好きだった野球が怖くなってしまいました。誰よりも野球が好きで、人一倍練習もしていました。でも当時の私は、野球を続ける気持ちになれなくて、チームを脱退して中学で女子ソフトボール部に入りました。

 

── そんな事件が…。

 

松本さん:でも、ソフトボールを頑張れば頑張るほど、「やっぱり野球がしたい」「もっと野球がうまくなりたい」という気持ちが大きくなっていきました。「野球が嫌いで辞めたわけじゃない」という思いが、ずっと心の中にあったんです。

 

それで、中学2年生のときに、思いきって同じ中学の野球部へ移りました。顔見知りのメンバーばかりだったこともあって、そこから徐々に、大好きな野球に夢中になれるようになっていきました。

想像絶するトレーニングと自ら課した「恋愛禁止」

── 中学卒業後は地元を離れて、女子野球部ができたばかりの高知中央高校へ進学しました。

 

松本さん:女子野球の強豪校からも声をかけてもらっていましたが、強豪校には才能のある選手や先輩がたくさんいて、試合に出られるまで時間がかかるかもしれないと思いました。とにかく試合にたくさん出て、失敗も経験しながら成長したかったんです。

 

私にとって大事なのは「強いチームに入ること」ではなくて、「経験を積んで、自分の力で強くなること」でした。その思いで選んだのが、野球部を創部したばかりの高知中央高校女子野球部です。スポーツに力を入れている高校だったし、1期生としてチームをゼロから作り上げていく環境なら、自分もチームも一緒に成長できると考えて進学を決めました。

 

── 高校の野球部はどうでしたか?

 

松本さん:メンバーは11人しかいなくて、技術も経験もみんなバラバラでした。でも、「全国大会に出たい」という夢をみんながもっていました。1期生ということもあって、「自分たちが野球部の土台を作るんだ」という強い自覚もありましたね。

 

監督の口癖は「技術はすぐには追いつけない。でもメンタルはいくらでも鍛えられる」というかなりの体育会系。午前中で授業が終わる学校だったので、平日は午後から日が暮れるまで練習、休日は試合という毎日でした。

 

高校から投手に転向したのですが、投手陣は坂道ダッシュ50本、階段ダッシュ50本に加え、14種目のサーキットトレーニングを2時間続けることもありました。泣きながら走る子もいました。それでも翌日になると、メンバーは自らグラウンドに立って練習をするほど、やる気に満ちていました。

 

── 想像を絶しますね。

 

松本さん:本当にきつかったですが「辞めたい」と思ったことはありません。「強くなりたい」という気持ちのほうがずっと大きかったですね。みんなも同じ気持ちでした。そのくらい本気だったので、誰に言われたわけでもないのに、部員同士で話し合って「恋愛は禁止にしよう」というルールまで作ったんです(笑)。その甲斐があったのか、高校3年生のときに念願だった全国大会への出場が決まり、みんなで大喜びをしました。

 

── 全国大会の決勝戦では甲子園のマウンドにも立たれています。緊張はしませんでしたか?

 

松本さん:不思議なほど緊張はしませんでした。「緊張しない性格だから」ではなく、「これだけやったんだから大丈夫」という自信があったんです。それくらい生活のすべてを野球に捧げていました。緊張する理由がないくらい練習してきたので、あとは思いきって投げるだけでした。とくに投手陣は学年関係なく仲がよくて、家族みたいな存在。みんなで練習して強くなっていたので、誰が選ばれても、マウンドに立った子が私たちの思いを背負って投げてくれると信じ合っていました。

 

結果は準優勝でしたが、後悔はなかったですね。もちろん優勝したかった。でも、「これ以上やれることはない」と思えるくらい、仲間と一緒にやりきったんです。

「消費されたくない」という心の葛藤

松本里乃
スタイル抜群!現在も野球を続けている松本さん

── 女子野球で活躍されるいっぽう、高校時代からSNSで野球をする姿を発信し、多くのフォロワーを集めていました。

 

松本さん:高校時代にSNSを始めて、当時のフォロワー数は80万人ほどになっていました。純粋に大好きな野球や日常風景を発信したいという気持ちで投稿していたんです。でも、フォロワー数が増えることで、変なDMが届いたりと、嫌な思いをしたことも多かったですね。

 

── 怪しい誘いなんかもありますよね。

 

松本さん:そうですね。でも、もう慣れすぎてしまって、そういうものだと思って全部無視していました。派手に見えるみたいで「遊んでいそう」と誤解されることも多いんです。今でも変なDMはたくさん届きます。お金儲けの話だったり、「会いませんか」という誘いだったり。ただ、当時から今まで、そういうDMをきっかけに誰かとつながったことは一度もありません。

 

「有名な人とつながれるならいいじゃん」と言われることもあります。でも、私はそういう理由で人とつながっても、自分という存在がただ消費されるだけだと思ってるんです。

 

── 松本さんとお話ししていると、見た目と考えに大きなギャップを感じます。

 

松本さん:どんなに練習をして結果を出しても、見た目だけで判断されることは多かったです。おしゃれをすれば「野球をさぼっている」と言われ、おしゃれをしなければ見た目のことを言われる。そんなふうに、女子選手ならではの難しさはたくさんありました。

 

それでも、SNSを続けてきた理由はずっと変わりません。「野球が好き」「自分が好きなことを表現したい」という、その気持ちだけです。だから甘い言葉や誘惑に流されることはありません。誰かにどう見られるかではなく、自分が本当に好きだと思えるものに真正面から向き合っていたい。その軸は、これからも変わらないと思います。

 

 

「かわいすぎる野球女子」という肩書からは、華やかな姿ばかりが注目されます。しかし、その裏にあったのは、「野球が好き」という真っすぐな思いと、何があっても練習を重ねてきた泥臭い日々でした。しかし、高校卒業後、野球を続けたいという松本さんの思いは、女子野球界の厳しい現実にぶつかります。プロ野球がない女子野球界では、どんなに野球で結果を出しても、それだけで生活をすることができないと知ります。松本さんは、専門学校に入学し、新しい道を歩んだのでした。

 

取材・文:大夏えい 写真:松本里乃