「孫たちへ。あなたたちのお母さんがどんなにひどい人かを伝えたい」。そう書かれた日記を、認知症だった母親の介護生活で見つけたと話す、ビーズ作家・女優の秋川リサさん。シングルマザー家庭で生まれ育った秋川さんは、母親との溝が埋まらないまま壮絶な介護生活を7年経験しました。「よく面倒をみることができたね」と周囲から言われながら母の最期を看取った本音を語ってくれました。
自分につらくあたっていた母親が認知症に
── 秋川さんはシングルマザー家庭でひとりっ子として育ちましたが、幼少期から親子の確執がある状態だったそうですね。にも関わらず、秋川さんが57歳のときから7年間にわたり、認知症になった当時82歳のお母さんの介護をされました。秋川さん自身、39歳からシングルマザーになって、おひとりでとても大変だったのではないかと想像しますが、今振り返っていかがですか?
秋川さん:母が82歳で認知症になってから、あっという間に状況が悪化。半年間で要介護1から要介護3になってしまったんです。認知症や介護の知識がまったくないなか、行政に相談しても支援を受けられず、とまどってばかり。大きな不安が拭えないまま月日が流れていく感じでした。娘が大学を卒業したばかりの頃で、私と一緒に母の面倒をみてくれてすごく助けられましたが、結局2年間、自宅で介護していました。
その後、自宅介護に限界を感じて母が入所できる介護施設を探していたときには、親戚から「施設なんて、あんな姥捨て山のような場所にお母さんをやるのか」と言われました。近所の人からも「あなたも若い頃、お母さんに苦労かけたんだから、あなたが自宅でみないと」って言われて。「私の人生の何を知ってるの?私がどんな苦労を母にかけたんですか?」と言い返すと、相手は黙りましたけど。余計なお世話だと思いませんか?そういう一般常識的なことを言いたがる人っているんですよね。

── 秋川さんの「余計なお世話です」という言葉に励まされる人もいると思います。そして実際に在宅介護をされた2年間を振り返っていかがですか。
秋川さん:想像を絶するほど過酷でした。私も娘も働かないといけなかったのですが、母から目を離せず、外出ができなくなるし、まず地方の仕事を入れることができない。夜、ベッドで眠ることもできない。「誰も助けてくれないのね」っていう思いもあったけれど、それよりも、いつ母が外に出て行こうとするかわからないから、枕の横に靴を置いて、カタッて音がしたら、すぐ母のところに飛んでいく、という状態で。とにかく毎日必死でした。
介護が始まったのは、私が57歳だった今から17年前のこと。母の部屋に鍵をかけるとか、母を拘束するといったことは虐待だと強く言われていた時代でした。だから、母を自由にするしかなくて。でもそうすると、いつ何をするかわからない。私と娘は本当に気の休まるときがありませんでした。
母と一緒に排せつ物を片づける娘が支えに
── 子どもの頃から、お母さんにあまり優しくされたことがないとも伺っています。そのぶん複雑な思いもあったのではと想像しますが…。
秋川さん:母は足腰が丈夫だったから、とにかく徘徊がすごくて。殺意を感じたときもありました。階段を下りる母の後ろ姿を眺めながら、「もし、ここで私が蹴飛ばしたら…ホッとするかもしれない」って思ったこともあります。ただ、娘がすごく明るい性格で、「ママ、どうせ介護するんだったら楽しくするしかないじゃん」っていつも言ってくれていて。彼女の支えがあったから、なんとか乗りきれたんですよね。
たとえば、家に帰ると、廊下や部屋に排せつ物が落ちていたりするんです。私が「これは何?」って言うと、母が「ああ、チェリーちゃんのよ」って当時飼っていた犬のせいにする。そうすると、娘が「チェリーはね、こんな大きなウンチはしないの。これ、おばあちゃんのでしょ?はい、一緒に片づけましょう」って、母に一緒に排せつ物を片づけさせるんですよ(笑)。母は孫の言うことだけは聞いていたんです。
── 娘さんは超強力なサポーターだったんですね!
秋川さん:そうなんです。私はあまり物事を明るく考える方ではないんですけど、誰に似たのか、娘の明るさには本当に助けられて、怒ってもしかたないって思えるわけです。たしかに、怒っても認知症が治るわけじゃないですから。どこのご家庭もそんなふうになんとか乗り切っているのかもしれませんね。施設はやはり月何十万のお金がかかるから、そこを考えて自宅で一緒に暮らすという人も多いんじゃないかなと思います。