「親子だからわかり合えるとか、そんなことはない」と言いきるのは、ビーズ作家・女優の秋川リサさんです。秋川さんが57歳の頃、幼少期から長く確執があった母親に認知症が始まり、在宅介護を2年経験しました。自身の経験をもとに、親子関係に苦しむ人へメッセージを送ります。

母親との確執「いい思い出はないけれど」

── 秋川さんは、幼少期からシングルマザーのお母さんと祖母の3人暮らしだったそうですね。お母さんは、秋川さんにとってどんな母親でしたか?

 

秋川さん:母は、常に自由奔放な人でした。全部で男性5人くらいを「パパと呼びなさい」と言われた記憶があります。

 

── お母さんからつらくあたられていたそうですが…。勝手に仕事の電話に出ていたり、ご友人や彼氏との仲をじゃまするようなこともあったとか。

 

秋川さん:そうです。子どもの頃から、母に「今度の日曜日、遊園地に連れていってあげるね」と言われても、それが叶った試しすらなかった。そんな母の影響かはわかりませんが、自分の存在自体が嫌になり、生きている意味がわからなくなった時期もありました。

 

嬉しかった母との思い出って、何もなくて。といっても、嫌な思い出ばかりでもないんです。ほかの親がどんなものかを知らないので、小さい頃から「親ってそんなものなのかな」と思っていました。

 

私、2014年に母とのことを書いた著書『母の日記』を出版したんですけど、当時は「毒親」という言葉をまだ知らなくて。読んでくださった方から「毒親に育てられたわりにはいい子に育ちましたね」って言われたことがありました。そのときは「世の中には、なんて失礼なことを言う人がいるんだろう」と驚きました。だって、自分で「毒親」だと思うのは勝手だと思うんですよ。でも、他人から言われるのは余計なお世話で、「母のこと何も知らないでしょ」と思うんです。

 

たしかに、母とのいい思い出は少ないけれど、自分らしく生きるのに精一杯だった人なのかなと今では思います。

 

── お母さんは、必死でご自分らしく生きようとされていたのでしょうか。

 

秋川さん:ひとつ同情できるのは、母の青春時代だった1940年代は、戦争真っただ中だったということ。日本の若い男性は戦争へ連れて行かれて、結局、戦争に負けて喪失感のなかにいたとき、食料と物資を与えてくれる外国の兵隊さんが素敵にみえたのかなと思うんです。のちに私が生まれるんですけど、母もある意味、戦争の犠牲者だったのかなと思うときがあります。

 

それに、母自身も、私の祖母と確執がありました。明治生まれだった祖母は、元芸者で、とても厳しく母のことを育てたようです。「どんなことでも一番を目指せ」と言う人でもあって、母が未婚のまま産んだ私に対しては、「人から理解してもらいにくい境遇で生まれたあなたは、人の倍以上努力しなければ認めてもらえない」「自立した女性になりなさい」と何度も言っていました。