「ここに来れば、いつでもやっくんを思い出せるし、また会える。そんな場所を作りたかったんです」──。かつて「いいとも青年隊」として人気を集めた岸田健作さんは現在、各地の町おこしイベントを続けています。そのきっかけとなったのが、親交のあった芸人・今は亡き桜塚やっくんでした。彼に捧げた桜の木と、町おこしを続ける思いとは。

「落ちぶれた」批判のなかで応援してくれたのは

岸田健作
高校生の頃の岸田さん。六本木のクラブで声をかけられて、人生が大きく動いた

── 芸能界で目標が見えずに挫折し、代々木公園で路上生活を経験をするなかで「自分の夢はバンド活動だった」と、人生で初めて自分のやりたいことが見つかった岸田さん。1年間、日雇いのアルバイトなど続けて路上生活を脱し、バンド活動を始めます。当時の周囲の反応はいかがでしたか?

 

岸田さん:僕の活動を聞いたかつての仲間たちからは、ものすごくバカにされましたね。「25歳を過ぎて何をやっているんだ」「遅すぎる」とも言われましたし、「お前には無理だ」と散々でした。知り合いのアーティストの方から、「音楽をなめるな」と怒られたこともあります。

 

でも、それはそうだなとも思ったんです。そもそも音楽経験はないし、何の実績もない人間が突然25歳で「バンドをやりたい」と言い出したわけですから。でも、僕は挑戦したかったんです。こんなに自分の心が震えたことは、自分の人生で一度もなかったから。

 

──「いいとも青年隊」として芸能界入りした当時は、番組に出演する著名人と自分を比べ、「自分には積み上げてきたものも、やりたいことも何もない」という現実に直面。引退して路上生活になるまで「息苦しさ」を感じていたそうですが、その出口がようやく見えたのですね。

 

岸田さん:でも、周囲から見ればそうではなかった。それはそうですよね。「いいとも青年隊」で世間の脚光を浴びた人間が路上生活になり、25歳すぎてから「バンドをやりたい」と言い出したわけですから。「落ちぶれたな」とか、否定的な言葉ばかりが向けられました。

 

そんななかで、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんだけは、ずっと応援してくれていたんです。芸能界にいた頃から本当にお世話になっていたのですが、僕が引退した後も変わらず接してくださって。周囲に夢を否定されていた当時も淳さんは「健作がやりたい!と思う事が健作にとって一番の正解なんだからやったほうがいいよ」と言ってくれたんです。その言葉は今でも大きな支えになっています。今でも年始には必ず連絡をくださるんですよ。ありがたいですね。

 

── 淳さん、すてきな言葉ですね。

 

岸田さん:そこからバンド活動を始めて、17年間を活動を続けて今に至ります。現在も、小さい規模でのライブですが、アーティストとして夢と目標を持って活動を続けているんです。

 

今でもよく言われるんです。「あんなにすごい場所にいたのに、芸能界を急に辞めて全部捨てるなんてバカだよね」とか、「もったいなかったよね」とか、「今は何をしているの?」とか。なかには「かわいそう」と言う人もいます。でも、僕の気持ちは本当に逆なんです。今が人生でいちばん幸せです。

 

いいとも青年隊として活動していた頃は、自分が何者なのかもわからないし、自分に何ができるのかもわからなかった。その苦しさをずっと抱えていました。今は、自分がやりたい活動を続けることができている。だから、あの頃よりずっと充実しています。代々木公園の路上で生活するなかで、「バンドがやりたい!」と思った瞬間の、目の前がパッと明るくなった感覚は今でも覚えています。