路上生活で視界がスーッと晴れた瞬間

岸田健作
代々木公園での過酷な路上生活で、生きる実感が得られたそう

──「ゼロから再スタートを」という気持ちはわかりますが、それでいきなり路上生活を?

 

岸田さん:はい。自分の夢を見つけたいって、海外へ行く人もいるじゃないですか。でも、僕にとっての海外は代々木公園だったんです。何もない状況で自分と向き合ってみようと思って、代々木公園で路上生活を始めました。

 

代々木公園はストリートダンサーやアーティストが活動している場所でもあります。ダンスや芸能の世界にいた身としては、そういう人たちを見て自分の気持ちがどう動くのかも確かめたかったんです。極限状態になったときに「やっぱりダンスがしたい」「芸事がしたい」と思えるのか。「野宿をしながら自分探しをしてみよう」と考えました。

 

── 路上での生活はどうでしたか?

 

岸田さん:現実は想像以上に過酷でした。芸事がどうこうという前に、路上生活は寒さや暑さ、飢えとの闘いで、それどころじゃなかったんです。まず食べるものを確保しなければいけないので、所持金が底を尽きたらゴミ箱を漁ったりしてました。どうしてもおなかが空いて、手元に何もないときは、道行く人に恵んでもらったこともあります。

 

──「岸田健作」とバレることはなかったんですか。

 

岸田さん:時々、通行人にバレていました。「岸田健作じゃん、ウケる」って追いかけられたことも。でも、何もないところで生きていくためにどうすればいいのかを、自分の頭で考える毎日を送るうちに、ようやく「生きている」という実感が湧いてきたんです。

 

雨が降れば公衆トイレで寝ることもありましたし、生活そのものは本当に過酷でした。でも、自力で生活ができた、自分の人生にとって宝物のような経験でした。

 

振り返れば、当時は人生でいちばん頭を下げた時期だったとも思います。でも、そういう経験を通して、お金の大切さや、人に時間を割いて話を聞いてもらうことがどれだけありがたいことなのかを知りました。当たり前だと思っていたことの大切さにも気づけたんです。

 

そんなある日、打楽器を叩きながら踊る2人組を見かけました。ダンスと生のビートが組み合わさっていて、めちゃくちゃ気持ちよさそうで。僕はダンスの経験はあったけど、音楽を自分で生み出すということには関わったことがなかった。その2人を見ていたら、「自分にも、ダンスと音楽を組み合わせて何かできるんじゃないか」「音と動きで、自分の気持ちを伝えたい」「バンドが組みたい!」という思いが、体の奥から沸き上がってきたんです。過酷な状況でも、自分はやっぱり芸事がしたいんだと思いました。人生で初めです。「やってみたい」「挑戦したい」と心が震えたんです。その瞬間、視界が晴れたというか、心の中がスーッと明るくなりました。

 

── とはいえ、20代後半で仕事もなくバンド活動を始めるというのは、リスクのある決断だったのではないですか。

 

岸田さん:もちろん、「この年で何をやってるんだ」という声があることもわかっていました。でも、それよりも怖かったのは、何もやりたいことがないままずるずと歳を重ねていくことでした。やりたいことも夢もないから、努力する気力もわいてこなかった。でも、僕は代々木公園で心の底から「挑戦したい」と思えるものに出会えたわけです。一度きりの人生で、心が震えるものに出会えたのに、それに賭けないまま終わるほうが、僕にとってはよっぽど後悔が残る選択でした。

 

── 本当にやりたいことが見つかったんですね。

 

岸田さん:はい。「やりたいこと」が見つかると、今度は「やらなければいけないこと」が次々と見えてくるんです。バンドを組みたいならメンバーを探さないといけないし、楽器も買わないといけない。だったら、まずは路上生活から抜け出さないといけない。そのためにはお金を稼がないといけない。人生の道筋が次第に明確になりました。

 

日雇いのアルバイトを始めて、少しずつお金をためて、ようやく家を借りられるようになったので、路上生活を終えました。

 

バンドメンバーを募集して、みんなで練習をしたりして。人生で初めて自分のやりたいことが見つかったんです。そうしたら、初めて目標もできたし、毎日が充実しているという実感も持てるようになりました。

 

取材・文:大夏えい 写真:岸田健作