「いいとも青年隊」として活躍後、25歳で芸能界を突如引退した岸田健作さん。人知れず向かった先は代々木公園でした。「全部捨てて、ゼロから自分のしたいことを探したかった」と、かつてのお茶の間の人気者は、路上生活になっていたのです。
30歳になった自分を想像して絶望した日

── 当時人気を誇ったお昼の番組『笑っていいとも!』の10代目「いいとも青年隊」として脚光を浴びた岸田さんですが、25歳の人気絶頂期に芸能界を引退されます。その理由を教えてもらえますか。
岸田さん:タモリさんや事務所の方との偶然の出会いで「いいとも青年隊」として番組出演することになり、1週間後には街でサインを求められるように。でも、何者でもない自分がスポットライトを浴び続けている危機感が、ずっとありました。
それに、事務所の人に「この先どんな仕事がしたい?」「どうなりたい?」って聞かれても、何も出てこないんです。目の前のことには一生懸命取り組んでいたんですが、この先、どうしたいのかが自分でもわからない。目標もない。それが本当に苦しくて「早くこの状況から抜け出したい」という思いを抱えていました。
── スポットライトを浴びるいっぽうで、そんな思いを抱えていたんですね。
岸田さん:学生の頃からなんとなく生きてきて、運よくいいとも青年隊に入ったけど、何も成し遂げていなかったし、自分の意思で何かを勝ち取ったこともなくて。『笑っていいとも!』に出られているすごい芸能人の方でさえオーディションを受けたり、下積みをしたりしてカメラの前に立っているのに、僕だけ何も努力しないでカメラの前に立っているわけです。25歳になったとき、「四捨五入したら30歳か」って思って、30歳になった自分を想像したら、絶望的な気持ちになりました。
30歳になっても、やりたいことも夢もなくいる自分が想像できてしまったんです。このままじゃダメになるなと、芸能界を引退することを決意しました。
だから、路上生活をすると決めた
── 人気があったときの引退、周囲に引き止められたりはしなかったのでしょうか?
岸田さん:「もったいない」と周りには散々言われて、引き止められました。でも、支え続けてくれた事務所の人は、僕の気持ちをわかってくれたんです。それで仕事を徐々に減らしていき、区切りがついたタイミングで事務所も辞め、25歳のときに完全にテレビから姿を消しました。ずるずると続けたくなかったので、きっぱり区切りをつけました。
── 芸能界引退で職を失うことにもなりました。先行きの見通しが立っていなかったなかで、経済的に困りませんでしたか?
岸田さん:はい。お金はあっという間に底をつきました。18歳で芸能界に入ってからは固定給で、新卒の社会人と同じくらいのお給料をいただいていました。その金額で生活費などを捻出していたので、貯金はほとんどなかったんです。
ただ、そのぶん金銭感覚が狂うことはなかったですし、変なプライドもなかった。失うものがなかったので、自分をみじめだとも思いませんでした。それはラッキーでしたね。
── お金がない状態で生活はどうされたのですか。
岸田さん:ひとり暮らしをしていたのですが、まずは住んでいた部屋を引き払って実家に帰りました。でも、実家に帰れば住む場所はあるし、食事だって用意してもらえます。そんな生活に「これじゃあ芸能界を辞めた意味がない。結局、自分で何も決められず、誰かに支えてもらう人生になってしまう」と気がついて。そこから実家を出ました。
「自分の意思で何かをしたい。全部を捨てて、ゼロから自分のやりたいことを探したい」。そう思って、路上生活をしようと決めました。それくらい、自分のことを知っている人もいない、何のツテもしがらみもないところから再スタートしたかったんです。