父親は大企業の社長で、親戚も東大・京大が当たり前のエリート揃いなのに…幼少期は親族から「子育てに失敗した」という目で見られていたという千秋さん。壮大なコンプレックスを抱きつつも家族に認められたい一心で走り続けてきました。
漫画やテレビを制限された子ども時代

──「ポケットビスケッツ」での歌手活動、声優、デザイナー、実業家など、マルチな才能を発揮し続けるタレントの千秋さん。その強烈な個性の裏には、エリート一族のなかで味わった「落ちこぼれ」の屈辱とそれをバネにした反骨精神があったとうかがいました。つねにエネルギッシュにわが道を切り拓いてきた印象がありますが、意外にも子ども時代は「内向的で目立たない子」だったそうですね。
千秋さん:小学校5年生まではおとなしくて、授業で答えがわかっていても手を挙げられないような引っ込み思案な子でした。通知表には決まって「もっと積極的に」と書かれていました。背も低く、運動も苦手だったので運動会は憂うつでしたね。
── 今の千秋さんからは想像もつきません。何かきっかけとなるようなことが?
千秋さん:小1のときの先生が、なぜかわからないけれど、私にだけ厳しかったんです。私と背格好が似ている友達のことは「小さくてかわいいねえ」とほめるのに、「それに比べてあなたは…」と比較して冷たい態度をとられる。落としものを拾って届けても疑われたりしました。まだ幼かったので言い返すこともできず、「なんでだろう…」「大人は怖い」と心を閉ざしてしまいました。
── それは辛い経験でしたね。そこからどうやって殻を破ることができたのですか?
千秋さん:転機は、小学5年生のときの担任だった音楽の先生との出会いでした。若い女性で、今で言うとちょっとギャルっぽい雰囲気。その先生が私のピアノの才能を認めてくれて伴奏を任されたり、リコーダーの見本役に選ばれたりしました。みんなの前で「できる」と認めてもらえたことで、初めて自信がつきました。
── 先生に認められたことが、大きな自信になったんですね。千秋さんといえば、ファッションやデザインなど独自のセンスも魅力ですが、子ども時代は、どんなカルチャーに触れて育ったのでしょうか。
千秋さん:うちは母の方針で、漫画は基本的に禁止でした。「中学生の恋愛とか盗みとか、悪影響があるから」って。唯一許されたのが『ドラえもん』だけ。母が先にチェックして「変な場面もないし、ためになる」とOKが出たので、そればかり繰り返し読んでいましたね。テレビも『オレたちひょうきん族』や『金八先生』は見せてもらえなかったので、同世代の友達と話が合わないこともよくありました。
── 漫画やテレビを制限されるなかで、千秋さんは何に夢中になっていたのですか?
千秋さん:いちばんの楽しみは、父が海外出張で持ち帰る外国の機内誌でした。ヨーロッパやアメリカの雑誌には、日本にはない色使いや見たことがない写真がたくさんあって。それを切り抜いてコラージュを作って遊んでいました。母が童話を作って話してくれるのが好きで、物語の世界に触れることが日常でしたね。
母はもともと大学を出て会社勤めをしていました。でも父と結婚するために数年で会社を辞めて専業主婦に。大人になってから「せっかくいい大学行っていい会社に就職したのに、なんですぐ辞めちゃったの?もったいない」って聞いたら「でもお父さんと結婚できたじゃない」って即答されて。ああ、母はまったく後悔してないんだなと思いました。家庭に入ってからは、英検1級の資格を活かして、家で英語塾を開いていました。