「やればできる!」。ティモンディといえば、高岸宏行さんのこの言葉が印象的ですが、売れっ子芸人で事務所の先輩からのひと言をきっかけに、“お笑いだけでご飯を食べられる”ようになったそうです。前田裕太さんから「売れる」までのお話を伺いました。

初舞台の観客は4、5人「それでも楽しかった」

── 2015年に高岸宏行さんとティモンディを結成後、どんな経緯で、今所属されているグレープカンパニーに入ったのですか? 

 

前田さん:サンドウィッチマンさんに憧れていたので、同じ事務所に応募してみようとなって、オーディションを受けたら合格しました。

 

ティモンディの前田裕太さん(左)と高岸宏行さん(右)
ティモンディの前田裕太さん(左)と高岸宏行さん(右)

── デビューできたときはどんなお気持ちでしたか?

 

前田さん:デビューといっても最初からテレビの仕事があるわけでもなくて、しばらくの間は、1か月に1回、事務所主催のお笑いライブに出演していただけなんですけど。観てくれるお客さんは4~5人くらいで…。毎回、出演した芸人の人気ランキングが出るのですが、僕たちはいつも順位ふるわずでした。

 

でも、楽しかったです。僕は、高校3年の夏、子どもの頃からずっと「行く」と決めていた甲子園まで一歩届かなくて、それ以来、あまり楽しいと思えることがなかったから。お笑いの舞台では、「楽しい」と素直に思えました。

 

ティモンディ・前田裕太さん
芸人になってからも野球のシーンに出ることが多い前田さん。真剣なまなざしから楽しさが伝わってくるよう

高校3年の夏までは野球が人生のすべてだったし、「楽しい」のは「勝てたから」「夢に近づけたから」という感覚で、甲子園で優勝してプロになるための通過点にすぎませんでした。でも、芸人としてステージに立ったときには、野球をやっていた頃とはまったく違う「楽しい」を感じられたんです。「全然違う世界がある!」って。

 

「負けていても楽しい」「これからもお笑いの世界で楽しめたらいいな」と思えました。県大会の決勝でサヨナラ負けをして、同時に子どもの頃からの夢と頑張る目的をなくしたあの頃を思うと、大きな前進だと思います。

 

それに昔の考え方のままだったらダメだったと思います。自分がどんなに頑張っても、結果でしか評価しなくて、期待通りの結果が出なかったら、「努力がたりなかった」「お前がダメだから、そんな結果しか出ないんだ」と思い込んでいた気がします。

サンド富澤さんから「前田がちゃんとやれば売れる」と言われ

── 芸人として活動するなかで転機になったタイミングはありますか?

 

前田さん:サンドウィッチマンの富澤たけしさんと食事に行ったときに、いろいろ話をしたんです。そのときに「前田がちゃんとすれば売れるよ」と言われて。「ちゃんと売れるためにはどうすればいいかを考えて、努力をすれば、芸人の仕事だけで生活できるようになるぞ」って。

 

その後、高岸に「ちゃんとお笑いでご飯を食べられるようにするか?」と聞いたら、「お願いします」と(笑)。じゃあ、楽しいだけじゃなくて、芸人として自分たちが人から求められるために、僕たちティモンディが、「ちゃんと売れる」ためにどうすればいいか、考えようと思いました。大先輩のひと言から考え方を変えたのが、お笑いだけでご飯を食べられるようになったきっかけです。

 

── 前田さんは具体的にどう「ちゃんとしよう」と考えたのですか?

 

前田さん:「売れる芸人」とは、テレビにたくさん出る、オファーがたくさん来る、常に仕事がある人の状態だと考えました。じゃあ、どうすればそういう状態になるのかを逆算で考えて、僕らが持っている素材で、テレビ局の人がオファーをしたくなるような見せ方をしようと思ったんです。

 

番組を作る人が「この素材いいね」と思うところをいかにパッケージ化して見せやすくするかを考えました。商品として撮りやすいポイントを押さえつつ、立ち振る舞い、衣装、髪型を含めて、「僕ってこういう人間なんです」とわかりやすく伝わるように。そんなことを、高岸を見ながら考えていた気がします。

 

4歳ごろのティモンディ・前田裕太さん
4歳の前田さん。まさかこの頃には、大人になって「芸人として食べていけるようになるには」と考える日が来るとは思わなかったはず

── 前田さん自身のことはどうプロデュースされたのですか?

 

前田さん:僕自身はまったく何も。だって、高岸という人間が、よくも悪くも変わっている部分を持っていて、魅力的じゃないですか。もちろん、人間だからネガティブな部分も持ち合わせています。ただ、彼がポジティブなことを言う姿が、いつも隣にいる僕から見ると、すごく笑えるし、勇気をもらえる人もいるだろうと思ったんです。

 

高岸自身も誰かを「頑張れ!」と励ますことが好きで、スポーツ観戦も好きだから、ひと目で「そういう人」だってわかりやすく見せれば「ご飯を食べられるようになる」んじゃないかなって。

 

そのいっぽうで、高岸本人は不器用でもあるので、決して器用には見えない人間が「できる!できる!」と言うことで誰かから無責任だと思われることもあるだろうなど、いろんな側面があることも考えていました。

 

僕自身のことより、まずは高岸にスポットライトが当たるように、「こういう言葉のほうが正確に伝わりやすいよ」と伝えたりして、どうすれば高岸が注目されるか、彼の見せ方を模索していきました。

「やればできる!」母校の校訓を言い続けて

── ティモンディといえば、「やればできる!」がお馴染みです。

 

前田さん:あれは、僕らの出身校(愛媛・済美高校)の校訓なんですよ(笑)。

 

── 私は愛媛県出身で、帰省の際によく済美高校の前を通るのですが、いつも校舎の前に「やればできる!」の文字が掲げられていて、ついつい見ちゃいます。そのとき、ティモンディのおふたりが思い浮かぶんです(笑)。

 

前田さん:各学年の教室にも「やればできる!」の掛け軸みたいなものがあって。高岸はあの言葉をただ言ってるだけなんですよ。とっくに高校を卒業しているのに、いまだに校訓を言い続けている31歳って…(笑)。

 

ティモンディの前田裕太さん(左)と高岸宏行さん(右)
愛媛県の強豪・済美高校野球部で出会ったふたりにとって大切な野球の思い出が詰まった松山市で。松山城をバックに、前田さん(左)と高岸さん(右)

── 済美高校の先生や生徒のみなさんもうれしいですよね。

 

前田さん:ありがたいことに、僕が教わっていた先生が、今校長先生になられていて。「たくさん校訓をネタに使ってくれてありがとう」と言ってもらったこともあります(笑)。

高校の野球部で知り尽くした仲間同士だから

── 高岸さんとは本当に仲が良さそうですが、ケンカをすることもあるのでしょうか。

 

前田さん:高校時代からの仲なので。野球部で毎日一緒に練習や試合をしていたなかで、お互いいいところも悪いところも出し尽くしたという感じはあります。

 

人の本性ってつらい状況のときにあらわれると思うのですが、高岸とは本当にいろいろな部分を見せ合っていて、だからこそ仲良くできているのだと思います。

 

PROFILE 前田裕太さん

1992年、神奈川県出身。高校からの友人、高岸宏行さんとお笑いコンビ・ティモンディを結成。前田さんはツッコミ・ネタ作り担当。「やればできる!」を持ちネタにした漫才で数々のバラエティ番組に出演、また現在、NHK『天才てれびくん』にMCとしてレギュラー出演中。文武両道を活かしたラジオ番組やコラム連載など多方面で活躍。

 

取材・文/高梨真紀 写真提供/前田裕太、グレープカンパニー