2017年、日本郵船創業132年で初の女性船長に就任した小西智子さん。幼い頃からの意志を貫き通したその背景には、どんな思いがあったのでしょうか。(全2回中の1回)

 

乗船経験もあり、陸上勤務では積み付けプランを書いていた自動車船SAKURA LEADERの模型と並んで

商船高専に進学も「女性採用ない」と後で知り…

── そもそも船の仕事に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

 

小西さん:海の近くで生まれ育ち、週末は父のヨットに乗るなど、子どもの頃から海は私にとって遊び場であり、身近な存在でした。また、図鑑を読むのも大好きで、見たことない生物を探し出す冒険家にも憧れていました。そうした思いから、「大型船に乗って海に出たい」という気持ちが自然と養われていったようです。

 

── 海への憧れと冒険心が、「船に乗って働きたい」という夢に繋がっていったのですね。とはいえ、船は男性の職場というイメージが強く、女性が目指す仕事としては、なかなか珍しい気がします。

 

小西さん:実はよくわかっていなかったんです。船で働くことを志し、中学卒業後に商船高専に進んだのですが、そのときに初めて「女性の採用実績がない」という現実を知りました。

 

──「商船高専に行きたい」と伝えたとき、親御さんはどんな反応でしたか?

 

小西さん:私の意志がかたいことはわかっていたので、特に反対はされませんでした。ただ、何年も経ってから「実はあのとき、心配で眠れなかった」と母親に言われました。両親には、「あなたのやりたいことをしなさい」と言われて育ちましたが、あまりにも突拍子もない夢を持つ娘に戸惑いつつ黙って見守ってくれていたと知り、感謝の気持ちでいっぱいになりましたね。

 

三等航海士の頃、鉄鉱石を運ぶ船の船橋ウイングから(写真提供/日本郵船)

── 最初から「船長になりたい」と思っていたのでしょうか?

 

小西さん:最初は、船長というより航海士を目指していたんです。ですが、就活はかなり苦労しました。建前上は、女性も採用試験を受けられるけれど、外国航路の航海士は、どの企業でも女性の採用実績がありませんでした。先生たちにも、「客船の事務の仕事なら採用されるかもしれないから、そちらにシフトしたら?」と言われたのですが、どうしても諦めたくなかったんです。「ダメでもいいから受けてみよう」と奮起し、何社か挑戦するなかで、日本郵船に採用されました。

 

でも、内定が出た後も、周りにはなかなか信じてもらえなくて。先生たちにも「騙されているんじゃないか!?」と心配されたくらい(笑)。

 

── 先生たちの慌てぶりから、どれほど異例だったのかが伝わってきます(笑)。日本郵船でも、初めての女性航海士採用だったとか。

 

小西さん:私の入社した2004年は、会社にとって技術系の女性採用に第一歩を踏み出すタイミングだったようです。私のほか、造船などを行う工務部門でも、初めて女性を採用しているので、運も良かったのだと思います。

 

ただ、たとえ航海士の採用試験に落ちた場合でも、大学に編入して、もう一度機会を待って粘ろうと考えていました。実際、商船高専の同級生の女性にも、卒業時はダメだったけれど、大学に編入後して再チャレンジし、航海士としての夢を掴んだ仲間がいるんです。

 

── 入社後は、どのようなキャリアを歩んでこられたのですか?

 

小西さん:入社後は、コンテナ船、自動車専用船などで、乗船経験を積みました。一度船に乗ると、だいたい半年間くらい乗船し、その後は2か月下船というルーティンになります。

 

日本郵船では、船員として採用されても、人事ローテーションの一環で陸上勤務をすることがあります。現在私は陸上勤務中でして、船上での知識を生かし、航路や運航のシステム開発や運用など、陸から海の仕事を支援する業務に従事しています。陸と海で定期的にメンバーを入れ替えることで、リアルな海の状況が反映できる仕組みになっています。

100%男性社会に紅一点…後ろめたい私を救った上司のひと言

── 船員は、仕事はもちろん、数か月間も生活を共にする仲間です。男性ばかりの環境ですが、戸惑うことはなかったですか?

 

小西さん:高専時代からそうした環境には慣れていたので、それほど抵抗はありませんでしたが、周りは対応に戸惑っていた部分もあったようです。それまで100%男性社会だったので、廊下を裸で歩いていたり、それこそ私が乗船したばかりの頃は、船内にちょっとセクシーなカレンダーが貼ってあって、目のやり場に困りました(笑)。部屋では袋とじ付録つきの雑誌を回し読みしていたりもして。上の人たちもどうすればいいかと悩んでいたようです。

 

私も当初、「気を使わせて申し訳ないな…」という気持ちがありました。私がいることで、洗濯機の使い方に特殊なルールができてしまうなど、これまでの生活に不便を強いられているのではないかと、後ろめたさがあったんです。

 

「後輩ができて少し先輩ぶってきた頃です(笑)」。海水を入れるバラストタンクの検査に入った後の1枚(写真提供/日本郵船)

── そうなのですね。

 

小西さん:あるとき、船長にポロッと気持ちを伝えたところ、「地球上には男女がいるのが当たり前で、それは船の上でも同じこと。だから、負い目を感じる必要なんてまったくないんだよ」と言われたんです。明らかにルールが増えているのに、そうした変化を「当たり前」と言いきってくれたことに、すごく救われた気がしました。

 

── トップがそうした考えの持ち主だと、すごく心強いですね。昔は、男性社会で働く=男性に同化しないとやっていけないという意識があり、無理をしていた女性も多かったように思います。

 

小西さん:そうですよね。自然でいい、無理しなくていいんだと背中を押してもらえたおかげで、自分らしく働くことができました。一方で、仕事の面では、他の男性航海士とまったく同じように厳しく対等に扱われていたので、男女差を感じずにやってこられました。変に忖度されてしまうと逆に困るので、有難かったですね。

 

── 男性側も、小西さんが一緒に働くことで、学んでいく部分も多かったのではと思います。

 

小西さん:ただ、男性側からすれば、自分の発言がセクハラにあたるかもしれないという意識がなく、「女性は髪を伸ばしたほうが美しいよ」「本当の幸せは家庭にあるんだよ」など、善意のコミュニケーションからくる発言も少なくありません。国も世代も違い、文化や価値観も多様なので、そのあたりを伝えていくのは難しい面もありますが、ひとつひとつルールをつくりながら手探りで進めてきました。

 

今は、社内で20名弱の女性が海上職として活躍しています。ひとつの船には20人ほどが配乗され、女性はその中で1人いるかいないかですか、それでも徐々に「女性がいるのは当たり前」という意識に変わりつつありますね。

 

制服は、入出港時、式典、また船の上でお正月を過ごすときなどに着用するのだそう

── 航海士としてキャリアを積んだ後、2017年に船長に昇格されました。当時の心境はいかがでしたか?

 

小西さん:社内からお祝いの言葉をたくさんいただきましたが、それ以上に自分が船の最高責任者になるというプレッシャーが大きかったです。船上のクルーの命やお客様の大事な貨物を預かり、船全体の責任を負う立場になることに、身の引き締まる思いがしました。

 

── 海では、いろんな状況に遭遇すると思いますが、命の危険を感じるような場面もありましたか?

 

小西さん:台風などの悪天候でトラブルもありますが、過ぎ去ってしまうとすべて「いい経験したな」と思う性分なので、怖かったという記憶がないんです。ただ、不審な海賊船に狙われたときはヒヤッとしますね。

 

── 海賊ってホントにいるんですか!?映画や漫画の世界だけかと…。

 

小西さん:シンガポール海峡やマラッカ海峡あたりにはいます。追い剥ぎや強盗のようなものですね。私は未経験ですが、実際に船に乗り込んでハイジャックするケースも一時期あったようです。ですから、怪しい船がいたら、速力を上げて逃げきったり、警戒していることをアピールしたりと、それぞれが職務に応じたアクションをとって対応します。

 

── 船の上にいて、一番幸せを感じる瞬間は、どんなときですか?

 

小西さん:一面に広がる海と空を見ながら、深呼吸をしてリラックスする瞬間に、「ああ、やっぱり海っていいなあ」と幸せな気持ちになります。

 

PROFILE 小西智子さん

1983年生まれ。三重県出身。2004年、鳥羽商船高等専門学校を卒業後、日本郵船に入社。航海士として経験を積み、17年に日本郵船132年の歴史の中で、女性として初めての船長となる。1級海技士、衛生管理者、無線通信士、甲種危険物取扱者等の資格を所持。

 

取材・文/西尾英子 撮影/ちゃんと編集部