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【世界遺産登録決定!】知っておきたい百舌鳥・古市古墳群のトリビア

ライフスタイル

2019.07.29

 

2019年6月30日から始まる世界遺産委員会にて、「百舌鳥古墳群・古市古墳群」は世界遺産に登録される見通しです。

百舌鳥古墳群の中には歴史の教科書に常連の「仁徳天皇陵」がありますが、その他については意外に知られていません。

今回は「百舌鳥古墳群・古市古墳群」について、知っているとちょっと自慢できるトリビア知識をご紹介します。

 

<1.百舌鳥古墳群・古市古墳群について(概要)>

百舌鳥古墳群は大阪府堺市、古市古墳群は大阪府藤井寺市から羽曳野市にまたがっている古墳群です。

古墳群、というからには複数の古墳があると予測できると思いますが、この2つの古墳群には、なんと49基、45件もの古墳が密集しています。

大阪府と言えば日本の中でも東京に次ぐ大都市なので、この辺りも住宅がびっしりと建っているのですが、その中に突如といった感じで、緑深い小山のような古墳が大小出現する様は、ちょっと不思議な光景です。

ちなみに、このような古墳が作られた時代を「古墳時代」というのですが、古墳時代は3~6世紀後半に当たり、この間に古墳は実に16万基以上(一説には20万基)も作られたそうです。

特に4世紀後半~5世紀後半までが古墳時代の最盛期と呼ばれ、前方後円墳など、日本独自の特殊な形が生まれたのもこの頃です。

さて、古墳と言えば皆さんの頭に浮かぶのは、まず「仁徳天皇陵」ですよね。

日本で最も大きな古墳で、その大きさは、全長486m、高さ35.8m、面積が約140万立方メートルと、エジプトのクフ王のピラミッド(全長230m)や秦の始皇帝陵(全長350m)などとくらべても、全く引けを取りません。

まあ、あまりに大きいので、目の前にすると山にしか見えず、上空からの写真のように鍵穴のような形は確認できないのが少し残念ですが、それでも陵墓らしい荘厳な雰囲気(なんとなく背筋が伸びるような)は十分に味わえます。

もう1つちなみにですが、日本で2番目に大きい古墳「応神天皇陵」は古市古墳群の中にあるのです。

全長は425mで確かに仁徳天皇陵よりは小さいですが、それでもピラミッドや始皇帝陵より全長が長いので、相当な大きさです。

 

<2.知っていると自慢できちゃう!百舌鳥・古市古墳群にまつわるトリビア>

では、早速いってみましょう、百舌鳥・古市古墳群にまつわるトリビアです。

①仁徳天皇陵を今の技術力を使って作っても2年半かかる!

仁徳天皇陵は、前述のとおり、日本で一番大きな古墳です。

これを現代の技術を使って、つまり重機なんかをバンバン入れて作ったら、どれくらいの期間がかかるのかを、大手ゼネコンである大林組がシミュレーションしたことがあるそうです。

結果、重機+一日60人を導入しても、2年半かかるそうで、延べ54,750人は必要なのだそうです。

ちなみに、重機も入れず、当時と同じ状況で作ったとしたら、一日2,000人を導入しても、なんと15年8カ月もかかるそうです。延べ人数は6,707,000人!

そんな途方もない人数を動かして墓を作れるなんて、当時の権力者たちの力はすごかったのですね。

②古墳の形は身分によって変わる!

百舌鳥&古市古墳群には、約50基もの古墳が存在しているのですが、古墳の形で種類を分けると、4種類になります。

1.前方後円墳
円墳と方墳を連結させたような形の古墳で、上から見ると鍵穴のような形をしています。代表的なものが仁徳天皇陵。

2.帆立貝形墳
前方後円墳と形は似ていますが、方墳の前方部を短く縮めたような古墳です。

3.方墳
四角形の古墳です。

4.円墳
丸い形の古墳です。

さて、この4つの形ですが、身分(勢力)の差によって、作っても良いお墓の形が決められていたそうです。

古墳時代というのは、大王を中心とする大和朝廷により、全国が支配されていった時代です。

最初はムラのような小さな単位から始まった集落が、次第に巨大化してクニとなり、クニ同士が争いながら合併し、3世紀後半ごろには大和政権という一つの大国になったと考えられています。

大和政権は大和地方(今の奈良県あたり)にあったのですが、その勢力範囲を表しているのが、古墳の形なのです。

つまり、全国にある古墳は、大和政権により墓づくりのルールが伝えられたことの証しであるというのです。

で、話を元に戻しますが、墓の建設には大和政権の許可が必要だったとされていて、身分(勢力)の低い順に、方墳→円墳→前方後方墳・帆立貝形墳→前方後円墳という順番だったのだそうです。

ちなみに大きさも同順位なので、最も小さいものが方墳、最も大きいものが前方後円墳となります。

ですから前方後円墳の多くは、大王(大和政権の長)とその家族の墓だと言われています。

 

③羽曳野市の由来?ヤマトタケルの墓と言われる白鳥陵古墳

古市古墳群にある「白鳥陵古墳」。ネーミングからして美しいこの古墳は、「大和武尊(ヤマトタケル)」の墓として宮内庁により指定されています。周辺の発掘調査では円筒埴輪や象形埴輪、葺石などが見つかったそうですが、中に入ることはできません。

大和武尊というのは、古墳時代ではスーパースターのような伝説の人物です。

大王の息子として生まれながらも、父王に疎まれ、息つく暇もなく遠征を命じられ、結局生まれ故郷に帰る途中で力尽きて亡くなったといわれる悲運の人物とも言われています(これには諸説ありますが)。

その生涯はとてもドラマチックで、美少女に扮して敵の首領を惑わし暗殺したとか、味方に裏切られ、野原に火を放たれ、あわや焼死!?の場面で、剣で周りの草を薙ぎ払い九死に一生を得たとか、妻と船で目的地に向かう途中、嵐で船が沈没しそうになり、妻は「私(女性が船に乗っている)のせいで海神がお怒りになっている」と自ら海に飛び込んで、命と引き換えに夫を助けたとか…まあ数え上げればきりがないほど、女子のキュン死ポイントを突いてきます。

で、その1つが帰郷の途中で病死し、その地に葬られたヤマトタケルの墓から、ある日一羽の白鳥が飛び出し、大和の方角へと飛んでいったという伝説。死んでも魂は大和に帰りたかったんだ…ということなのですが、その白鳥が降り立ち、昇天した地に作られたのが、この白鳥陵古墳だと言われています。

大きさは全長200m、高さ23.3mの前方後円墳で、羽曳野市で3番目に大きい古墳です。

ヤマトタケルはあくまで伝説で、実在はしていなかったとか、白鳥陵古墳の埋葬者は実は別人、という説ももちろんありますが、白鳥陵古墳の前に立つと、そんなことはどうでもいいか、と思えてくるから不思議です。

ちなみに、古墳がある羽曳野市の羽曳野という地名は、白鳥が昇天のため飛び立つ際、羽根を曳くように飛び立った、ということから来ているそうです。曳くというのは地面を引きずるというような意味なので、きっとこの地を離れることが心残りだったんだろうな…。と乙女思考を満開にできる、白鳥陵古墳をぜひ訪ねてみてください。

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