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【生誕110周】太宰治ゆかりの地-ふるさと青森編-【ぜひ行きたい!】

ライフスタイル

2019.08.02

太宰治と言えば、「走れメロス」や「人間失格」など、誰もが知っている作品を多々発表した昭和の文豪です。実は今年(2019年)はその太宰の生誕110周年にあたるのだそうです。

作品はもちろんですが、自身の人生もまるで小説のように劇的な、太宰治の足跡が残る青森の地を巡ってみませんか?今回は太宰ゆかりの史跡を3つご紹介します。

 

<1.太宰治の生涯・経歴を簡単に紹介>

太宰治は明治42年(1909年)の6月19日に、青森県五所川原市金木町の豪農、津島源右衛門の六男として生まれました。兄弟は全部で11人という大家族の六男であるということや、母親の身体が弱かったせいもあり、生まれてすぐに乳母に預けられ、その乳母も1年ほどでいなくなり、その後は叔母であるキエと、子守りとして雇われた越野タケに2~6歳まで育てられました。

幼い頃から優秀でしたが、17歳頃から文学に傾倒することで成績は落ち、最も尊敬する作家芥川龍之介の自殺によって荒れた生活を送るようになります。昭和5年に東京帝国大学に入学しますが、芸者と駆け落ち騒ぎを起こして実家から絶縁され、学費を払えなくなり大学を除籍されます。

その後は母の死や薬物中毒、複数の女性との関係や自殺未遂などを繰り返すものの、井伏鱒二の紹介で石原美知子と結婚したのちは、安定した生活を送るようになり、この時「富岳百景」や「女生徒」「走れメロス」などを発表しています。

ただ第二次世界大戦終結後、1947年に「斜陽」を連載した頃から、持病(肺結核)の悪化などで鬱々とした日を送るようになり、「人間失格」発表後の昭和23年(1948年)玉川上水にて愛人の山崎富栄と入水自殺を図り死亡しました。享年は38歳。あまりにも早い死でした。

 

<2.「斜陽」を生み出す舞台となった太宰治の生家「太宰治記念館」>

青森で太宰治の足跡をたどるなら、ぜひ訪れて欲しいのが(というか、訪れるべきなのが)太宰治記念館です。

「斜陽館」とも呼ばれるこの家は、太宰治の生家であり、彼が生まれる2年前の明治40年(1907年)に父、津島源右衛門により建てられました。

建築にかかった費用は、当時のお金にして4万円。一概には言えませんが、当時の1円の価値が2万円程度として計算してみると、約8億円の豪邸ということになります。

実際に目にすると分かりますが、とにかく大きい、立派!もうそれしか出てきません。

2階建てで1階は11室278坪、2階8室116坪と、1家族が暮らすには大きすぎるお屋敷です。

当時はそこに太宰一家(津島家)と使用人などが30人ほど暮らしていたそうです。

ただししきたりや身分の差がはっきりと分かれる明治の時代、家長である父と家督を継ぐ長子(長男次男は早世したので、実際に家を継いだのは三男)との差は歴然としており、実子の太宰でさえも入ることを許されない部屋があったのだとか。

米蔵にまで青森ヒバを贅沢に使ったこの家ですが、その荘厳さ、重厚さの中にある厳しさ、寂しさのようなものも感じることができます。

後に太宰はこの家のことを「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである」と書いています。

太宰にとっては父母の思い出が残る家、というにはあまりにも希薄な親子関係を皮肉っていたのかも知れません。

そして戦後の農地改革により、地主としての地位や財産を失い、没落していく生家の様子にヒントを得て、「斜陽」を書いたと言われています。

ちなみに、この家は戦後津島家が手放し、昭和25年から旅館「斜陽館」として営業していましたが、平成8年3月に旧金木町が買い取り、太宰治記念館として公開しています。

<3.小説「津軽」に登場する喫茶店 駅舎(芦野公園旧駅舎)>

小説「津軽」は1944年の書かれた太宰治の小説です。

主人公である私(津島修治)は、久しぶりに故郷の金木町に帰ることになったのですが、思えば自分の生家とその付近のごくごく狭い地域しか知らないことに気づき、この機会に津軽各地を見て回ることにします。その旅行の中で、家族と縁のある人々と出会ったり、かつて幼少の自分を育ててくれ、生き別れになった子守り役の越野たけと再会したりするというお話です。

津島修治は太宰の本名ですし、実際に津軽のあちこちを執筆のために訪れているので、これは小説ではなく紀行文だとの説もありますが、中に収められているエピソードや人名に関して、事実とは違う部分が確認されているため、やはり小説という色合いが強い作品だと思われます。

この小説の中に登場するのが、旧芦野公園駅であり、太宰はこの駅のことを「踏切り番の小屋くらいの小さい駅」だと書いています。

本当にこぢんまりとしたレトロで小さな駅舎であり、新駅舎へと代替わりしたのち、地元の方が駅舎を利用して喫茶店「ラ・メロス」を経営していましたが、その後閉店。今は津軽鉄道の協力のもと、NPO法人によって喫茶店「駅舎」として営業しています。

当時の駅舎の雰囲気がそのままの店内で、太宰が愛した弘前工手町の珈琲店「万茶ん」のオリジナルコーヒーや、金木特産の馬肉を使った「激馬かなぎカレー」「馬まん(馬肉を使った肉まん)」などを味わってみませんか。

 

<4.太宰が2度宿泊した旅館「旧秋田屋旅館(太宰の宿 ふかうら文学館)」>

旧秋田屋旅館は太宰が津軽の地を訪れた際宿泊した旅館で、現在は改築され、「ふかうら文学館」として公開されています。

館内は、1階は図書館、2階は太宰治が実際に宿泊した部屋を、当時の雰囲気のまま再現した「太宰の間」や、深浦町にゆかりのある文人「大町桂月」「成田千空」の間などがあります。

ちなみに1度目の宿泊は小説「津軽」の執筆時。たまたま泊まった秋田屋の主人が太宰の兄の友人で、思いがけず歓待を受け、アワビのはらわたの塩辛をごちそうになったと書かれています。

2度目は戦争で疎開のため実家に帰省する折、家族を連れて宿泊したそうです。

情緒のある木造の建物で、太宰の件を抜きにしても、一見の価値があります。

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